「欧州どまんなか」 January 01, 2002
とうとうユーロがやって来た
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2002年の元日から、欧州12カ国の通貨が廃止されて、統一通貨ユーロにかわる。私がはじめてユーロを見たのはクリスマスの数日前であった。硬貨が入った「スターター・キット」と称するビニール袋を、娘が銀行からもってきたからである。金色の五〇セント硬貨がまぶしい。私には子供のころ読んだ「岩窟王」の一場面が思い浮かぶ。主人公が地中海の島で見つけた宝物なかの金貨がこのように輝いていた気がした。感心して眺めていると、女房が「新しいだけ」と水をさし、私は自分が義務を怠っていること思い出す。

私は、もうかなり前から女房に使用不可になるマルク紙幣をさがすようにいわれている。私はお札を背広やワイシャツのポケットにつっこむ癖がある。私は衣装持ちだ。二十年以上前に亡くなった父はおしゃれで、背広を何十着ももっていた。父と体型が同じ私は形見代わりに自分で着ることにして、半分近くもドイツにもってきた。手足は私のほうが少し長く、女房は丈が合わないことを気にする。何年も前に、私は彼女にもう着ないものを整理するようにいわれた。でも私は気が進まず、色々理屈をつけてさぼってきた。彼女は私にマルク紙幣をさがさせて、懸案事項に決着をつけたいのである。

そしてクリスマスイブ。この日は恒例の親戚の勢揃い。女房には姉が二人、弟が一人いて、皆結婚して二人づつ子供がいるので、全部そろうと相当な数になる。今回は我が家が当番で、クリスマス・ツリーの前でプレゼントの交換。1917年生れの義父のプレゼントは額に入ったマルク硬貨であった。私が少し離れた場所から彼に礼をいうと、義父は「良い通貨があったことを皆に記憶してもらうため」とこたえた。でも肝心の孫たちはプレゼントをあけるのに夢中でよく聞いていない。ただ私の近くにいたフランス人の義兄がフランス語で私にわかるようにゆっくりと「時代錯誤のマルク・ナショナリズムもこれで額入り」と憎まれ口をきいた。

パリに住む私の義兄はグランゼコールのなかの名門校出身で重役や社長として大企業を渡り歩くフランス社会特有のエリートである。でも隣国のエリート制度も平等主義のドイツで暮らす私たち親戚にはピンと来ない。そのことに彼は心のどこかで苛立つせいか、ミュンヘンに来ると最初の一日、二日は機嫌が悪い。その後、打って変わったように人当たりがよくなる。

彼は、ドイツ統一を契機に反独的志向を強め、熱烈な欧州統合主義者になる。(この変貌は、気の強いドイツ人女性と結婚していることと無関係でないかもしれない)。1992年のマーストリヒト条約で、ドイツ国民にはずっと先のことと思われた欧州統一通貨導入が決定される。こうなったのは、東西ドイツ統一をフランスに了承してもらうために、当時ミッテラン仏大統領とコール独首相の間に裏取引があったからだとされる。義兄は欧州通貨統合を歓迎しないドイツ国民を非難し、その頃からマルクに執着する義父は彼の眼にはナチ同然になる。

私は、お役済みになって額の中で行儀良く並ぶマルク硬貨を眺める。バカンスでドイツを離れるたびに、私は隣国の貨幣の優雅な図案にうっとりした。マルクは本当にやぼったい。

分裂国家の片割れであった戦後西ドイツは、どこか仮の国家であった。国民の記憶のなかで特別な日を求めるとすれば、それは憲法制定の日でもなく、米英仏占領地区で新マルクに切り換えられた1948年6月20日とされる。当時闇市が横行する物々交換で、以前の貨幣が紙切れ同然だった。その日、食うに食わずの国民が平等一律にわずか六〇マルクを交換してもらうために、銀行を前に長蛇の列をつくる。

またその日こそ、全国民が不安おぼえながらも、勇気をふるって体制崩壊の現実を認めた再出発の日でもあった。「奇跡の経済復興」を遂げてから、口うるさい隣国に囲まれた敗戦国民は「経済立国」の自分たちの社会がこの日にはじまったと考えるようになる。この意味で、西ドイツ国民にとって自国通貨は「建国の象徴」でもあった。この事情を「マルク共同体」とけなしたのは、書斎にすわったまま人生をおくるドイツの人知識人の悪い癖でもある。

女房の家族は議論好きで、「ユーロ」についてもフランス人の義兄と私たちはよく口論した。彼は一度、私が「田舎町ミュンヘン」の新聞を読んで視野が狭いと怒り、「金融の町フランクフルト」で発行される新聞の一年間・購読料をクリスマスにプレゼントしてくれた。

経済学的な屁理屈をこねたかもしれないが、私にとって実は気持の問題であった。公園の砂場で苛めっ子に何をいわれようが、黙ったまま自分のオモチャをしっかり握ったまま離さない子供がいる。「人工通貨」ユーロに不安をつのらせる義父をはじめ、彼と同世代のドイツ人がそんな子供にみえて、日本人の私は何か発言しただけのことである。

クリスマスもおわり、今私がこのコラムを書いていると、子供たちが家中から集めてきたマルク硬貨を前に大騒ぎする。彼らはコレクターに値段がつくコインをさがしているのである。突然「25ユーロもうかった」という娘の歓声が聞こえた。私は、頭のなかでこの金額をマルクに換算している自分に気がつく。子供は新しいものに慣れるのが本当に早い。

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