「欧州どまんなか」 January 08, 2002
Windowsの「国籍問題」
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一台のコンピュータで日本語もドイツ語もつかうのはけっこうやっかいである。というのは、この世界にも国籍のようなものがあるからだ。

Windowsが売り出されてからしばらくした頃、ノートブック購入にあたり、コンピューターにくわしいドイツ人が相談にのってくれた。彼はドイツ語版と日本語版Windowsの両方をインストールできないと説明した。ドイツ語版では日本語がつかえないので、日本語版をインストールしてもらった。

ところがつかっているうちに不満を感じるようになった。ドイツ語の文献をダウンロードすると英語にないドイツ語文字が漢字のオバケにかわる。ドイツ語を書くのは日本語版Windowsでもできるが、ドイツ語版で動く辞書等は利用できない。

その頃、複数のOS(基本ソフト)搭載を可能にするプログラムのことを知る。私は、これをつかってハードディスクを半々に仕切り、一方にWindowsの日本語版を、他方にドイツ語版をインストールした。ノートブックをたちあげると、どちらのWindowsに行くかを尋ねる画面がでる。これは、ホテルのフロントで「和室にするか洋室にするか」をきかれるような感じがして、とても気に入った。

私は洋室の書斎に念願の辞書や便覧を置き、ドイツ語を書き、インターネットでドイツの新聞を読む。和室では日本の新聞を読み、日本語の手紙を書く。こうして問題を解決したことを、私は自慢に思って数ヶ月暮らす。

でも、ときどき何かおかしいと私は思った。例えば洋間の書斎でダウンロードしたドイツの新聞記事を日本にいる友人に知らせたいと思う。新聞を手に廊下を通って和室の書斎に行き、そこで手紙を書くのならまだわかる。実際はドイツ語版を切って日本語版Windowsに入る以上、玄関から一度外に出て、またホテルのフロントに行き、「和室に行きたい」と届けでることに似ている。煩雑で、効率よく作業を進めようとするために、私はドイツ語版のデスクトップの横に自分のノーブックを置いて仕事することが多かった。

ある時、ドイツ人の日本学関係者と話すことがあった。彼はマッキントッシュでこんな問題はないと強調した。マックなら、日本語をつかいたい人は必要な付属プログラムを買い、インストールすれば事が済むという。これを聞いて、私はやりきれない気持ちがした。

Windowsの日本語版とドイツ語版の相違であるが、機能の名称が日本語であったり、ドイツ語であったりするだけで、プログラムの大部分は同じはずである。私は、「バカンスでフランスへ行かれるときルノーで、イタリアへはアルファロメオで」とセールスマンにまくしたてられて、自分が二台も自動車を買わされたような気がしてきた。自慢に思った「ホテル・フロント」方式も、二台分の車庫をつくったようなことになる。いやになり、私は日本語版だけの最初の方式に戻る。

コンピューターのOS(基本ソフト)は数学のように普遍的であるべきで、その普遍的な共通点から出発して、枝分かれするように個別言語を扱ったほうがいい。それなのに、「日本語版」とか「ドイツ語版」とかいって、最初から十九世紀的な国籍の壁を持ち込んでくる。それも、グローバリゼーションの先頭を切っているビル・ゲイツさんがである。ノートブックの中だけでも、私はドイツと日本の二つの世界を行ったり来たりしたいと思っていたのに、、、また私は他の国民が相互連帯を妨げる米外交を連想した。その後、精神衛生のために、私はこの問題を考えないことにする。

年末のある夜、見にくいのでノートブックの画面の角度をかえる。その途端今度は画面そのものが消えてしまった。いろいろ試み、結局駄目であることが判明。翌日大晦日、私は電気製品郊外大店舗にでかけると、多数のノートブックが並び、一機種だけにWindows2000がまだ搭載されていた。私はこれに決める。これが、ドイツ・マルクで支払う私の最後の買い物になった。Windows2000に決めたのは、IME2000という日本語プログラムが入っていて、国籍問題が大幅に改善されていると、日本学関係者がいつか発言していたからである。私はドイツで暮らし、女房もドイツ人である以上、今度こそドイツ語版をつかいたいと思った。

2002年の元旦から数日、日本語もつかえるように試行錯誤をつづける。一度メールを開けたところで、本文は日本語になったのに、「件名」が文字化けしていた。またやり直し。しばらくしてもう一度メールを見ると「賀正」とあり、日本の正月を感じ、お餅を買わなかったことに気がつく。

私の作業は、ノートブックに住むドイツ人の一人づつに日本語の承諾をとりつけるようなものである。日本語ワードをのせることはできたが、システムの核心に近い「メモ帳」は日本語を頑なに拒み、ローマ字入力をすると日本語に変換しない。でも、ドイツ語版のWindowsでここまでできるようになったことに、私は今昔の感をおぼえる。

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