「欧州どまんなか」 January 29, 2002
山のあな、あな、あな、、、、、

 

前回のコラムで、日本の歌謡曲を懐かしく聞き、ドイツでは陽気な「故郷に残ってよかった」というのが多いと書いた。そのことを考えていたためか、急に「海潮音」にある「山のあなた」の原詩を見たくなる。さがすとすぐ本が見つかった。ビールに酔っ払ったためか、関西弁が母国語の私には、原詩が次のような感じに読めた。

山のむこうなんや、歩いて遠いんやけど、
何か、ええことあるって、皆ゆうてる。
ほかの奴がぞろぞろ行くんで、うっかりくっついて、
泣かされて帰って来てしもうた。

山のむこうの、えらい遠いところに、
何か、ええことあるって、皆ゆうてる。


もうかなり飲みすぎた私には、この詩の後「そんなアホなこといわせておけ」という気になり、「ここにいるのが一番」「故郷に残ってよかった」というドイツの歌謡曲の歌詞が生まれて来るのもわかる気がしてきた。私はしばらく、原詩と上田敏訳を見比べ、明治の先人にあらためて感心する。参考のために引用すると、

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。

山のあなたになお遠く
「幸」すむと人のいふ。


「海潮音」の「山のあなた」は、日本で一番有名なドイツの叙情詩かもしれない。この原詩も、また作者カアル・ブッセもドイツ人はほとんど知らないので、これは面白いことである。日本人が好きなのは、この詩を自分の状況に合わせていろいろ解釈できるからである。昔、京都で禅関係者が「悟り」とくっつけてこの詩を引用したことがあった。また「涙さしぐみかへりきぬ」は、東京の生活に挫折して青函連絡線の船室の窓辺にただずむ女、演歌のモチーフとも共通する。

1970年代、ミュンヘン大学で独文科の学生だった頃、二十世紀初頭に出版された雑誌をテーマにする演習に出たことがある。毎日のように図書館で、文学作品だけでなく、投書や広告の類いまで、色々なテキストに眼をとおす。この作業はその時代にじかに触れている気がして楽しかった。でもドイツの地方都市で遠い昔読まれ、知らない作家ばかりが出て来る雑誌を、日本人の自分が読むことに、時々私は孤独感をおぼえた。そのような雑誌の中である、ある日、私が豊かな口髭たくわえた好男子のカアル・ブッセに出会ったのは、、、

「はじめまして。あたですね、『山のあな、あな、あな、、』のカアル・ブッセさんは」と、落語家の顔が目に浮かび呆然とする。近くの誰かがマイクロフィルムを回してカサカサという音を立てた。それで、私は我にかえる。その後も、幾つかの雑誌を読んでいると、「ブッセさん」にお目にかかる。でも当時私は、日本で有名だからといってこの作家に特別に関心を払わなかった。ただ読んだだけである。

当時、毎日のように何か読んでいて、時には退屈なものにあたって困ることがあった。その点ブッセは、小説もテンポが速くあきなかったし、詩もとっつきやすかった。彼は、十九世紀前半に開発された文学的モチーフや技術を駆使し、読者もそれに慣れていたので、当時売れる作家だったのである。

彼は評論もよく書いたが、新しい傾向に理解を示さなかった。私が読んだ雑誌は20世紀初頭のもので、1872年生まれの彼は30歳にならないのに、文壇の大立者という感じがした。一度、その頃の新雑誌創刊・企画書を何かの拍子で眼にしたことがあるが、予定執筆者リストの筆頭に彼がいて、20世紀ドイツ文学を代表するトーマス・マンが末席をけがしていた。

彼は、生まれたのが現在ポーランド領のポーゼン地方で、高等学校の頃ベルリンに移り、その後ほぼずっとベルリンで暮らした。私が読んだ彼の小説は自分の故郷か、その周辺を舞台にしたものばかりであった。たいていは、男が大都会から来て女と知り合い、情が生まれかかったりする話であったような気がする。

「山のあなた」の山は、彼の故郷が平野で、山がないので、畏怖と憧憬の対象になったドイツ・ロマン派の人工的「山」である。また、この詩は彼が24歳のときに出版された詩集に収録されている。アルバン・ベルク以下三人の作曲家がこの詩に曲をつけたが、これも、彼と同時代のドイツ人が「山のあなた」に心ひかれていたことを物語る。

カアル・ブッセは第一次世界大戦終了直後に亡くなる。それから数年後の1924年、ベルリン滞在中のフランツ・カフカがブッセ未亡人宅に間借りする。友人宛ての手紙の中で、カフカが「自分の作品を読んだら悪口をいったに決まっている、あのブッセの家に住むのは不本意」という意味のことを書いている。

生前から、ブッセはすでに「昨日の世界」の作家であった。第一次世界大戦で、このことがあらわになり、彼は死後急速に忘れられた。でも、ベルリンで彼が住んでいた通りは「ブッセ・アレー」と名づけられている。90歳を超えたお嬢さんが健在であると、私は聞いた。でも、これも二年前のことである。