「欧州どまんなか」 February 12, 2002
ドイツのおばあさん
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1968年の初夏のミュンヘン。駅の待合室で、私は足を長々とのばして椅子によっかかるようにすわる。一日中歩いて、私は疲れていた。むかいにすわっているおばあさんが何かしきりに罵っている。何を怒っているのだろうか。しばらく耳をすまして聞いていると、彼女は私の行儀の悪いすわり方を怒っているのである。待合室はこんでいなかった。少し不本意であったが、私はキチンとすわり直した。それでも、彼女はひとりで怒りつづけていた。

このときがはじめてである、私が「ドイツのおばあさん」を意識的に体験したのは。この国には若くて魅力的な女性もたくさんいる。口うるさいおばあさんとはできるだけかかわり持たないようにしよう。そう私は思った。

ところがそうはいかなかったのである、この国に何十年も暮らしていると。あたりまえのことだが、私は彼女たちに電車の中、また公園、道路といった至るところで出会う。「若くて魅力的な女性」にも、たいていはお母さんがいる。叱られるのはいつも私というわけでなく、たいていは電車のなかで大声を出したり走りまわったりする子供であることが多かった。

今までのところ、「ドイツのおばあさん」に私が最後に叱られたのは十年ほど前である。息子が小さい頃、私はよくいっしょに散歩した。ある時息子がオシッコをしたくて我慢できなくなり、道端の芝生にさせる。生憎なことに犬を連れたおばあさんがそばにいて、私は叱られる。私は謝り弁解につとめるが、聞く耳もたずとばかりに私を罵りつづける。私の町にある「戦没兵士の碑」が目の前にあることに気づいた私は、彼女が戦争未亡人かと気をまわして、ますます恐縮する。事がすんで、息子と私はまた歩きはじめた。しばらくしてふりかえると、何と今度はおばあさんの犬が同じ芝生にしゃがんでいるではないか。それもオシッコといった生易しい格好ではない。私は憤然とした。

私だけではない。友人の日本人男性が奥さんと町を歩いていた。赤ん坊を彼ではなく、奥さんが抱いているためにヘンなおばあさんに文句をいわれたと語ったことがある。

いつのまにか「ドイツのおばあさん」というイメージが私の頭のなかにどっかり腰をおろしてしまった。口うるさくて厚かましい「イジワルばあさん」は日本にも、またどこの国にもいるように思われる。また強い秩序意識を備えた人々もいるが、大きな被害がない限り、個人の自由とか色々理屈をつけて干渉しない。ところが「ドイツのおばあさん」は絶対に見て見ぬふりをすることができないのである。

「ドイツのおばあさん」の存在は日本人には特に強く感じられるようだ。私より上の世代の日本人は昔ドイツでおばあさんのところによく下宿したが、彼らの困った話を私は何度も聞いたことがある。私たちが無数に発する文化的拒絶信号を、彼女たちはいっさい無視し、気がつくと、私たちは彼女たちに指示を仰ぐ関係に陥っている。そこから脱出するのが心理的に難しい。彼女たちと日本人は文化的に相性が悪いのである。

ある時から、私は「ドイツのおばあさん」を別の角度からも見ることにした。犬が芝生で事に及ぶのはよいが、人間のこどもは駄目と考えるのは、ズボンを下ろした息子の姿が彼女たちには良俗に反することで、ポルノに近くなるからである。

また見て見ぬふりをしないで発言するのは勇気があるともいえる。電車の中で酒気を帯び、若い女性に卑猥な言動をする男性を罵るのも昔彼女たちであった。数年前郊外電車のなかでレイプ事件があったことが報道された。同乗者の多くはヘンだと感じながらも「親しい関係」にある男女と思うことにして、見ぬふりをした。子供が芝生にオシッコしただけで怒るおばあさんがいれば、そんな事態にならなかったと思われる。

「ドイツのおばあさん」の歴史的出現は戦争やその後の窮乏時代と関係があるのではないのだろうか。秩序を重んじる国民が例えば配給で行列をつくる。横入りを試みる人がでる。誰かが罵り、周囲の人々も賛同した。何十年も経ってから、駅の切符売り場で番抜かしをする人を、知らないおばあさんが私のかわりに撃退してくれた。二つの光景が私の頭の中で重なる。

この世代の女性は、戦争をした男性より不幸なところがあった。夫を失って未亡人になった女性も多い。彼女たちは銃後の戦時経済で重要な役割を演じた。戦後男性の帰還とともに職場では降格されたり、不本意にも主婦にもどったりした人が多かった。彼女たちのなかには、自分は社会的に報われない人生をおくったと思う人が多い。謝っても私を罵り続けた「ドイツのおばあさん」に、私は絶対的人間不信を感じた。彼女たちには、娘や息子から好かれない人が多いが、これもこの女性・戦争世代の人間不信や被害妄想と無関係でない。

以上が、自分の女房がおばあさんになっても、「ドイツのおばあさん」にならないと、私が楽観する理由である。でも、町に出て「ドイツのおばあさん」がすっかり減ってしまったことに気づくと、私は少し寂しくなることがある。

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