「欧州どまんなか」 February 19, 2002
息子に話さなかった「私のトルコ旅行」
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七十年代中頃、私は夏休みにトルコへ旅行した。当時の私には京都の暑い夏がまだ身体に残っていて、ドイツの夏の涼しさに満足していた。トルコくんだりまで出かけたのは、ある女性が同行するように頑固に主張したからである。

私は彼女と大学のゼミで知りあう。フェミニズムに共鳴する彼女が、何かの拍子で自分はレスビアンになりたいけれどなれないと私に打ち明けた。「人間、無理をしてはいけない」で済ますところが、知ったかぶりが好きな私は動物の例をあげて議論につきあう。それがきっかで彼女は私と親しくなった。

最初私は、本が読みたいのでどこへも行きたくないと断っていた。すると彼女は、本ならどこでも読めるといいだす。そのうちに、南の方へ行けばドイツで暮らすより生活費がかからないと説得する。行き先がギリシャでなく、当時ドイツ人があまり行かないトルコに決まったのも安いためである。

ミュンヘンの学生の夏休みは八月からはじまり三ヶ月も続く。出発したのは九月に入ってからだったので、私たちは行くか行かないかで一月以上も口論したことになる。彼女が全部手配してくれて、私は本を読んでいればいいと約束してくれた。

飛行機の中でも私はいつもと同じように本を読み、トルコのどこの町へ行くのか、関心をはらわなかった。飛行機が着陸したのはイズミールである。私がこの地名を覚えているのは、二週間後に戻らなければドイツへ帰れなくなると彼女がいうので、私も不安になってチケットを見て確認したからである。

私たちは町でホテルを探す。ドイツとは異なり、街並みが雑然とし、ネオンが競うようにきらめいていた。私は一瞬自分がバーやパチンコ屋が並ぶ日本の繁華街を歩いている気がしてうれしくなる。翌朝五時頃、安普請のホテルで奇妙な音に起こされる。それは鶏の鳴き声で、私は子供の頃の日本を思い出した。都会の喧騒がドイツのように無機的でなく、動物や人間が出す音と混じりあい、どこか官能的であった。

この後、私たちはリュックを背負い、砂浜のある町をさがし、バスで海岸沿いを移動する。私はドイツにいるのと同じように、バスの中でも、待っている時も、いつも本を読んで、どこにいるか気にかけなかった。でも一度途中で神学専攻の彼女の希望で、回り道をして、古代ギリシア遺跡が残るエフェスに行く。誰もいないで円形劇場で彼女がキリスト教の話をした。

数日して気に入った町が見つかる。そこで、私たちは泳ぎ砂浜で寝転がって本を読み、喫茶店や食堂へ行く。フェミニズムの本を読む彼女は、時々私に議論を吹っかけ、私も気が向くと応じた。私たちは旅行案内・付録の「トルコ語会話」で用を足すことでき、町の人々は親切で、あいさつし、少し話すようになる。私たちは幸せで、あまりケンカしなかった。

ある日、彼女だけ先に行き、喫茶店で私を待っていた。周囲はトルコ人の男性ばかりで、テーブルに一人座って本を読む大柄で金髪の彼女を、私は遠くから見て、奇妙なことに気がつく。それは、町で女性をあまり見かけないことである。買い物をしている女性は少しいるが、喫茶店や道路にいつもたむろしているのは男性ばかりで、海岸でも若い女性を見なかった。

この町を立ち去る前の晩、私たちはいつもの喫茶店へ行く。付録の「トルコ語会話」のたすけを借り、主人に明日帰ることを告げると、「ラク」という焼酎をサービスしてくれた。もうすっかり顔見知りになった常連のトルコ人も私たちを囲み、ごちそうしてくれる。私たちはがんばって彼らと「トルコ語会話」にはげむ。心が通じた気がして、彼女も私も感動する。

私がトイレへ行き、戻ろうとすると、奥に座っていた中年の男性が私に話しかける。彼は外に座っている彼女を指さすようにして、私に何か訴えかけ、バッグからたくさんのお金を出しテーブルの上に置く。私は彼のいうことがわからない、、、ところが、本当はわかったのである。でも日本人の私はわからないふりをし、挨拶するように彼の肩をたたき自分の席に戻った。

しばらくしてから、私たちはホテルに戻る。起こったことを話すと彼女は驚き、そのうちに、私が喫茶店で彼女にすぐ報告しなかったことを非難した。それは「彼女の性的自決権を無視する私の家父長的態度の反映」ということになるからで、私はかなり困る。、、、、ドイツに戻ってから、恋人同志でトルコ旅行をした人から、私と同じようにお金を提供された話を聞いた。

少し前、私は「女性の一人歩き」を禁じたりしたアフガン・タリバン政権の「反女性的政策」について息子と議論した。それは、彼が土曜日だけ通う日本の補修校の学習発表会でこのテーマを選んだからである。私は、社会での性の在り方が西欧とは異なる国があることを息子に説明したくなり、忘れていたトルコでの体験を思い出す。でも今でも「家父長的な」私は息子に話せない。困っていると、子供の頃「良家の子女は一人歩きしない」とよく姉を叱っていた祖母の懐かしい顔が浮かぶ。

祖母の話をしたが、息子が本当に理解してくれたかどうかは、あまり自信がない。

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