「欧州どまんなか」 March 12, 2002
「戦場に架ける橋」を見て

美濃口氏の写真 美濃口 坦
ミノクチ・タン

1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)

 

少し前、私は「戦場に架ける橋」という映画をテレビで見た。これは1957年に製作され、当時数々のアカデミー賞を受賞し評判になった映画である。

戦時下、日本は戦略上の必要からタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道を敷設した。普通なら数年かかるのに、突貫工事でわずか一年半足らずで開通させる。映画の中で英軍捕虜がクワイ河に架ける橋もこの線路工事の現場である。日本は連合軍捕虜や現地人を過酷な条件で働かせ多数の死者を出し、泰緬鉄道は戦後「死の鉄道」と呼ばれるようになる。

この歴史的背景もあって、映画はウィリアム・ホールデンが演ずる米軍士官が捕虜収容所・墓場で働く場面からはじまる。そこに、ニコルソン大佐(アレック・ギネス)が率いる英軍部隊が到着する。この英軍将校は、将校の肉体労働が戦時国際法違反であることを指摘して、労働を拒否する。これに対して、捕虜収容所のサイトウ所長(早川雪舟)は、ニコルソン大佐を服従させるために穴倉に閉じ込める。

この英軍将校が服従しないのは、「法の否定は文明の否定である」とか「捕虜になっても兵士は兵士で、奴隷でない」とか、ヨーロッパ人らしく彼が考えているからである。到着直後の会話で、米軍士官(ウィリアム・ホールデン)は、この英軍将校に「自分は生きた奴隷だ」と嘲笑的に答える。米士官が立ち去った後、ニコルソン大佐は部下に「米国は欧州から離れ長い間孤立し、彼もジャングルで暮らすうちにああなった」とコメントする。この後米軍士官は脱走を試み、成功する。

そのうちに、穴倉に閉じ込められても服従しようとしないニコルソン大佐とサイトウ所長との間に交流が生まれる。橋の工事がはかどらないことに悩むサイトウ所長に、英軍捕虜がよく働かないのは指揮する将校がいないためであることを納得させ、将校の肉体労働免除の譲歩を勝ちとる。これは、英軍将校から見れば「文明の勝利」の第一歩で、彼はサイトウ所長に対してこの勝利を確実にするために、捕虜の部下を規律正しく働かせ、期日通りに立派な橋を完成させる決心をする。また彼はこの仕事に情熱をもやすようになる。

竣工後の第一号列車を待ちながら、ニコルソン大佐は完成した橋の上に誇らしげに歩く。突然、彼は川床に敷かれた電線に気づき、サイトウ所長といっしょに電線をたどって川原へ行く。不信に思った彼はサイトウ所長にナイフで電線を切断しなければいけないと警告する。その時、兵士が岩陰から現れ、自分が英国兵士で「クワイ河橋爆破作戦」を遂行するために来たニコルソン大佐に告げる。

ところが、ニコルソン大佐は日本軍に助けを求め、この英国兵と取っ組み合いをする。銃撃戦がはじまり、この英国兵は被弾する。次の瞬間、収容所からの脱走し、英軍のこの作戦に参加した米軍士官が飛び出す。彼を思い出したニコルソン大佐は、「自分は何をしてしまったのか」と叫ぶ。二人とも被弾するが、ニコルソン大佐はよろめきながら起爆装置にたどりつき、そこに倒れるようにして、数秒前まで自分が守ろうとした「戦場に架ける橋」を爆破する。

以上が映画のあらすじで、「自分は何をしてしまったのか」の答えは「利敵行為」である。鉄道敷設は日本軍の作戦展開の一部で、戦時国際法のなかには「捕虜を作戦行動に関係する作業に従事させる」ことを禁ずる条項がある。それなのに、英国人エリートのニコルソン大佐には、兵士と将校の待遇を区別する条項しか頭になかった。彼は、戦争という大きな文脈を見失った「木を見て森を見ず」の人間と見なすことができる。

この映画は、封切り当時「西部戦線異常なし」と並ぶ反戦映画と受けとられた。現在「文明を守る」ために戦争をして、橋ぐらいは平気で壊す欧米人が当時と同じように感じるか、かなり疑問である。今なら、彼らは反戦映画というより、ニコルソン大佐個人の悲喜劇として理解するような気がする。時代は変わってしまったのである。

次はサイトウ所長であるが、彼は冒頭で「捕虜は恥ずべきで、権利などない」と主張する。欧米人には、この考えは「弱肉強食」の論理になる。捕虜になった日本兵の多くが、必要以上に卑屈になったのもこの論理のためである。ちなみに、捕虜のドイツ将校もニコルソン大佐と同じように、国際法に則って権利をよく主張した。主張するしないは別にしても、権利がないと思った途端人間はどうしても卑屈になるのかもしれない。

面白いことに、最初無慈悲に見えたサイトウ所長が、観客の眼には、映画の進行とともにどこかあたたかさをもつ人間に変貌する。それは、工事が間に合わない窮状を、サイトウ所長がニコルソン大佐に明かす頃からである。これは日本人の率直さで、強みでもある。(同じ状況にあるドイツ人収容所長が捕虜に自分の弱さを示す行為は想像しにくい)。これで、文明を代表するつもりのニコルソン大佐は、父性本能を刺激され、日本側のペースにはまりこむ。これも、日本人と欧米人の関係でよくあるパターンで、後で紛争の種になることがある。

日本で封切りされた頃、「クワイ河マーチ」という口笛の主題曲が町に流れた。当時音楽を聞くだけで映画を見なかった私は、今回見ることができて本当にうれしかった。