「欧州どまんなか」 March 19, 2002
私が好きなハイデルベルク

美濃口氏の写真 美濃口 坦
ミノクチ・タン

1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)

 

 

案内人が木の大樽を指さして何リットルのワインが入ると思うかと私たちに尋ねる。上の空の私は、傍らでどうでもいい説明に聞き入るイタリア人の女性の横顔を見つめた。どうしてどこの国の女性も、男性の気持ちを知りながら、涼しい顔をしていることができるのだろうか。(こんな疑問にあまり悩むことなく人生をおくる男性が世の中に多数いることは、私も重々承知している)。

私がハイデルベルクのお城で大樽の前に立っているのは、このイタリアから来た女性のためである。七十年代前半、ドイツの大学は外国人留学生に気前がよく、少し参加費を払うと色々な町へ団体バス旅行に連れて行ってくれた。出不精の私が参加したのは、ゼミが同じで憎からず思った彼女が誘ったからである。それなのに、その日まで期待した事態にならず、私は旅行の意義を疑いつつあった。(今かえりみると、我が人生にこの種の誤解が多過ぎたような気がする)。

この大樽こそ、私の記憶に残るドイツの代表的観光都市・ハイデルベルクとの最初の出会いである。多分その前後に色々なものを見たはずだが、憶えていない。名所といわれると見なければもったいない気がする。見ていると今度は自分と無縁な感じがしてきて、頭に入らない。だから昔、私は観光がかなり苦手のほうであった。

七十年代、私はもう一度ハイデルベルクを訪れている。日本の政治家の通訳をしたからである。彼は都市計画について話すと称して市長に会い、開口一番ハイデルベルク市の人口数を尋ねた。たいしてきくことがなくてこんな質問をしたのに、きまじめな市長はわざわぜ秘書に調べに行かせ、しばらくして最後の一桁まできちんと揃った最新の人口数を伝えてくれた。その時も名所見物をしたはずであるが、記憶に残っているのは走るように出て行った秘書の姿だけである。

90年代に入ってから、私は仕事でこの町に度々来るようになる。またミュンヘンで大学時代親しかった友人の何人かがこの町の大学に職を得て住むようになった。

ある時、到着して駅の構内から出た私は、いい町だと思う。それは山がなだらかで、私が育った京都を思い出したからである。ミュンヘンの山はもうアルプスの一部で尖がっている。

ハイデルベルクの駅だが、私が読んで感動した数少ないドイツ文学作品のなかに「朗読者」というのがある。15歳の少年と36歳の強制収容所元女看守が知り合うこの小説の舞台はハイデルベルクである。後で世界的ベストセラーになったこのベルンハルト・シュリンクの小説を読んだ時、私の土地勘と小説の描写が合致しなかった。これは、小説で描かれる1950年代、駅が今と異なり旧市街のすぐ近くにあったからである。私はずっと後でこのことを知る。

ドイツには、真中に旧市街があって、近代化で四方に拡大したタイプの町が多いが、旧・新市街はやはりどこか不揃いである。ハイデルベルクがこうならなかったのは戦災に遭わなかったこともあるが、丘陵に挟まれたネッカー河辺という地形のおかげである。どこにいても、この町の「顔」というべき山とお城と川と古い家並みが感じられる。

今でも私はこの町の名所・旧跡は知らないが、一度「哲学者の道」へ行った。到着するまで細く険しい道をかなり登る。京都の「哲学の道」は大文字山の麓の平坦なところを歩くが、こちらは「大」の字まで登るのと同じくらい高度差があり、私はドイツの哲学者の体力に感心する。

ハイデルベルクがローテンブルクのような観光だけの町にならなかったのは大学があるからである。ある時、私は町の喫茶店の中を見まわして、観光客と大学生ばかりだと思ったことがある。旧市街の大通りが観光客のための通りとすると、これと平行したり交差したりする路地に大学の建物や学生の集まる飲み屋がたくさんある。私の友人は皆研究室まで歩いて数分という旧市街の中に住む。町の中で買い物をしていると、よく同僚に会うそうである。どこか「大学村」なのでる。

ある時、いっしょに飲んだ友人が(ミュンヘンと比べて)「この町にいると自分が年とるのを感じなくなる」と嘆いた。確かに、会うたびに同棲相手が変わっているし、彼にはいつか家庭を築くような感じがしない。彼は本当に昔のままである。大都市で暮らしていると色々な職業の人達に接触し、私のようなノンキな人間でも、けっこう世間の隙間風を感じながら生きているのかもしれない。

その晩、私は少しほろ酔い気分で石畳の路地をホテルに戻る。自転車で帰宅する数人の学生が楽しそうに話しながら、私を追い越した。後姿を見ていて、私は自分が年をとったと感じ、今後も年とることができると確信した。

ある時、ホテルで寝転がって本を読んでいた。外から「山田はん、のんびりしたはるから、もうちょっと待ったげてー、、」という日本人観光客の声が聞こえ、その時、なだらかな山が窓からのぞいていた。ハイデルベルクは私の好きな町である。