「欧州どまんなか」 April 09, 2002
自縄自縛の構造
美濃口氏の写真 美濃口 坦
ミノクチ・タン

1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)

 

少し前、私は京都に一週間滞在した。

関西空港で自動販売機から京都行きの汽車の切符を買おうとする。ドイツの癖で目的地のボタンを押すが、金額が表示されない。困っていると隣の女性がまずお金を入れなければいけないと教えてくれた。でも買う物を決める前にお金を取り上げられるのは困ると私は思う。

いつものことだが、私は日本を訪れると最初、このような些細なことで苛立つ。ドイツから隣国に出かけてもそうならない以上、心の中のどこかで自分が日本人の端くれと思っているのである。そのうちに多くのことが気にならなくなる。

湯気を通して同性の裸を見ると日本を実感できるので、私は風呂屋が大好きである。姉は近くの風呂屋が廃業したといった。近所を歩くと昔あった菓子屋、文房具屋といった小売の何軒かが消えている。私は以前いつも家内経営の商店が日本で健闘しているのに感心していた。ドイツでは繁華街を除いて、そんな店はもう三十年以上前になくなったからである。

誰と話しても危機感が漂う。「ただ敗戦を待つ心境」と言った人もいた。欧州の人々が日本について心配するのは銀行の焦げ付き債権処理と財政赤字増大だけである。残りはどこの先進国にもある問題で気長にがんばるしかない。

日銀公定歩合が、今ほどでないにしてもゼロに近づいた90年代中頃、私は金融関係者の講演会へでかけた。誰かが、預金者(=国民)を犠牲にして銀行にもうけさせるこの低金利政策のおかげで、当時バブルがはじけて苦しむ日本の巨大銀行も三、四年で不死鳥のように蘇ると予言していた。なぜもうけてくれなかったのか、今でも私には理解できない。

すでに80年代後半先進国では、落ち込んだ景気をよくするための人為的内需拡大政策は避けるべきが大多数のエコノミストの常識であったはずである。それなのに90年代に入ってから日本が(欧州のように当時は失業といった)厄介な問題も抱えていなかったのに財政赤字拡大を続け、「イタリアと並び称される国」になった。これも私にはわからない。

姉と並んでテレビを見ていると、画面に関西弁を話す女性の記者会見の場面がうつる。「答えになっていない」という怒号がとんだ。女性は辻元清美という国会議員で有名な人だそうだ。彼女は国から支給される秘書の給与を事務所の人件費に転用し、これが政治資金規正法に触れ、今辞職したのだと姉が私に解説してくれた。

違法行為かもしれないが、政党政治をうまく機能させるというこの法律の本来の精神を思えば、実害もなく騒ぐ必要がない事件だと私には思われた。姉にそういうと、「ドイツと異なり、日本では悪いことは悪いので、辞職しなければいけない」と答える。「悪いことの意味内容が問題である」と私は抗弁したくなったが、面倒臭くなりやめる。

その後、姉は日本の政治に疎い私に色々説明してくれる。与党にはもっと悪い政治家がいて、こちらは外務省に圧力をかけて人事をはじめ色々なことに介入し、この議員こそやめるべきだと彼女はコメントした。

通常、政治家が行政に自分の政治的見解を伝えて影響力を行使することが政治行為とされる。但し、政治家は自分の見解の正しさを説明する責任をもつ。要するに問題とされるべきは彼の政治的見解が正しいかどうかであって、内容である。ところが、姉の話しを聞きながら、「けしからん」とされているのが見解のほうか、影響力を行使したほうなのか、この点がはっきりしなかった。どちらかというと後者、強引に介入したことであるような気がしてきた。でも時には強引さも必要である。

私のこの印象が正しければ、多くの人々は政治が行政に影響力を及ぼすこと、すなわち政治が行われることを望んでいないことにならないか。多分同じ人々が「政治の不在」を嘆くので、これは矛盾で奇妙なことである。またこれは行政をかばうことになり、よく批判される「官僚支配」の助長でもある。ヨーロッパで国民が危機を感じたらかならず大連立・挙国一致内閣の成立を求める声が世論のどこかから出る。日本でその声があがらないとすれば、これもこの奇妙な政治風土の反映である。

政治はどこでも似ているし、政治家が舞台の上に立っているのもどこの国でも同じだ。私が違和感を覚えたのは政治の論じ方である。日本の舞台の上では、何か漠然とした「悪いこと」という尺度が機能しているように思えた。こうなると、悪いうわさが立って娘がお嫁にいけないと心配した昔の日本とあまり変わりない。その結果人々は萎縮して、前に動けない。これも自縄自縛の構造の一つで、私は残念と思うしかない。

憂鬱になったその晩、テレビで「ポーランド対日本」のサッカー戦を見る。四年前のパリと比べてすっかり元気になった日本選手を見て私はうれしくなる。気を取り直した翌日、私は離陸する飛行機の窓から大阪湾を見てヨーロッパに戻った。