「欧州どまんなか」 June 18, 2002
7月1日はドイツ国民が何も買わない日
美濃口氏の写真 美濃口 坦
ミノクチ・タン

1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)
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私は一頃やめていたタバコをまた一年前ぐらいはじめてしまった。以前自動販売機に6マルクを入れたが、ユーロが導入されてから私は3ユーロ(邦貨で約350円)を入れる。というのは、1ユーロは1,95583マルク、約2マルクで、ドイツ国民は物の値段も収入も金額が半分になったのである。

買い物でユーロ表示価格を二倍にすると昔のマルク価格になる。ここで自分の収入も二倍にすれば以前と同じことになるが、ドイツ人の多くはそんな気持ちになれないという。というのは、ユーロ導入・便乗値上げが起こり、例えば以前5マルクした物が4ユーロか5ユーロするような気がするという。こんな気分でいる人は財布の口を締めるので、ドイツの小売業界の売上は前年度と比べて3パーセントも減ってしまい、回復の兆しが今のところ見えない。

ユーロ切り換え直後、買い物から戻った妻が野菜もパンも何もかも高くなったとおこる。当時、ユーロ導入賛成者のフランスの義兄が我が家に逗留していた。彼は「欧州各国の価格をガラス張りにする共通通貨は市場原理を浸透させ価格を下げるはず」と経済に無知な妻にお説教した。

ドイツの庶民は今このような経済通の言説に一番腹が立つそうである。「高くなった感じるだけで、本当は、、、」。ちょうど断崖からうっとりと青い海を見ている。そこに理科の先生のような人が現われて「水はもともと透明でね、ショッパイ、つまり塩化ナトリウムが少々入っているからといって青いはずがないよ。青く見えるのは、、、」

毎月発表される物価上昇率は2パーセント内外で昔と変わらない。家賃は世帯支出のなかで大きな割り合いを占めるが、数字が半分になっただけである。トマトの値段が二倍になったことなど支出のなかでは些細なことで、だから便乗値上げが物価上昇率に反映しないのだと説明される。

4マルク90ペニッヒしたパンは3ユーロ50セント。2倍してマルク価格にすると7マルクになるので、4割も値上がりしたことになる。近くのガソリンスタンドで洗車させると6マルクだったのが5ユーロするようになった。近所のアイスクリーム屋で一玉1マルクしたのが、今70セント、すなわち0.7ユーロもする。数字は小さくなったが、かなりの物価上昇である。特に値上がりしたのはレストランや飲み屋で、ビールを飲むだけなら昔20マルクで済んだのが、今ではうかうかしていると20ユーロがなくなってしまう。

消費者団体の委託で820種の品物とサービスの値上がりを調査した経済研究所によると全体で40パーセント近く、サービス部門では50パーセント近く値上がりしたことになる。

数日前から、メールをあけると物価上昇に抗議するために「7月1日を何も買わない日にしよう」という回覧状が色々な人から回ってくる。

日本人として見ていて面白いのは小売業界の反応で、こちらは売上が減ったことをぼやいているだけである。この状況を利用して売上を伸ばそうと安売り攻勢をかけるお店はあまり見られない。ドイツ人はこの点、よくいえばおっとりしているし、悪くいえば「横並び」である。

この現象はドイツ人の価格に対する生真面目な考え方と関係があるかもしれない。彼らは価格の正当性を信じている。市場原理に従えば、需要があれば道端でひろった石ころに百万円の値段をつけてもよいと思われる。ところが、彼らはそう考えることができない。彼らは自分が設定した価格が正当で、人格の表現と心のどこかで思っているところがある。だからドイツ人は値切られることをいやがる。またこの種の商談を楽しむ文化がない。このあたりに、お客が来なくて困っても彼らが値下げに踏み切らない事情があるように思われる。

もっと面白いのは政治サイドの反応である。五月に入ってから、大蔵大臣がはじめて「小売のモラルを信頼しすぎた」と告白した。これも本当に遅い反応である。

これには、政治家が自分で買い物にでかけない以上に、別の理由があると思われる。欧州統合は与野党一致で「聖域」にしてしまった。ユーロにケチをつけることは右翼ポピュリズムに荷担することで、政治家の多くがこの点をおそれているように思われる。だから野党の批判も穏やかである。

日本のメディアの多くは「庶民の味方」であり、日本ならもった大騒ぎになった気がする。ドイツで「庶民の味方」は大衆紙で、今回便乗値上げを糾弾しキャンペーンを展開した。反対に、高級紙は政治に対する影響力が強いが、この問題を地味に扱い解説するだけだった。大蔵大臣が遅ればせながらも問題の存在を認めたのは今年の秋に選挙があるからである。

ドルの一極支配は問題があると考え、ユーロ導入を良いことと思う私には、便乗値上げで誕生早々ケチがついてしまったのは本当に残念なことである。

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