「欧州どまんなか」 July 09, 2002
サッカーとカーニバル
美濃口氏の写真 美濃口 坦
ミノクチ・タン

1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)
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「我らのヨコハマの英雄」と叫ぶ女性市長の金切り声がひびく。テレビの画面にうつっているのは、フランクフルトの旧市庁舎のバルコニーに勢ぞろいしたサッカー・ワールドカップ・ドイツ代表チームの面々だ。決勝戦の翌日帰国。歓迎会。広場をうめつくす群集がドイツ国旗をふる。

冬、ヨーロッパにはカーニバルという祭がある。これは、本来キリスト教徒が断食に入る前の馬鹿騒ぎであったが、現在は断食をしないで騒ぐだけである。連日どこかでパーティーがあり、人々は顔に色をつけ仮装して自分が誰かわからないようにしてでかける。クライマックスにさしかかる三日間は町の中で行列があり広場で踊り狂う。終わると日常生活がもどる。

ドイツで暮らして四年に一度ワールドカップがあったが、私は今回ほどカーニバルの雰囲気を感じたことはなかった。これは、テレビで見る日本の観客がカーニバルのように自分の顔をぬりたくっているのを私が見たためかもしれない。

でもそれだけではない。ドイツの町の繁華街では、毎日試合が大きなスクリーンで中継され、その度に勝っても負けてもどこかの国の人が騒いだ。だから道路もよく渋滞したそうである。秩序を重んじるドイツ人もサッカーとなるとカーニバルと同じで、ファンの無礼講に寛容である。

私が連日カーニバルの雰囲気を感じたのは、グローバリゼーションの進展で、ドイツ社会に色々な国から来た人が住んでいるからでもある。またカーニバルが延々と続く気がしたのは、予選突破も危ぶまれたドイツが決勝戦に進出し、ドイツ社会・最大外国人グループのトルコと日本人の私が親近感を覚える韓国が準決勝まで残ったためである。

開催中、「今回のワールドカップほどグローバル化した世界を感じたことはなかった」というコメントをよく新聞で眼にした。これは、はじめてアジアで開催されたこともあるが、それ以上に遠い国でおこなわれる試合に連動して身近な場所でカーニバル的雰囲気がかもしだされたからでもある。

今多くの人から批判されている「グローバリゼーション」について、数年前誰かが、世界、国家、地域、また文化とか民族といった複数の軌道につりあいよく乗っかって進行していくべきで、まず軌道が絡み合っていることを直視しなければいけないという意味の発言をした。当時聞き流したが、後になってから私には納得できるような気がした。サッカーを見ているとこの「グローバリゼーション」がどのように進展していくのかがわかるところがある。

日本では、スポーツは学校や企業のクラブが中心である。ところが、欧州、特にドイツではサッカーをはじめスポーツは自分が住む町のクラブでするものである。日常のサッカーはクラブ対抗戦で、外国のクラブと試合すると地域という軌道の上で国際化したことになる。ワールドカップも欧州選手権も、これとは別に編成されたナショナル・チームの試合で国家が単位である。一頃サッカーの商業化に勢いがつき、有名クラブ同士の対抗戦・欧州チャンピオン・リーグに人気が集まり、国家の対抗戦・欧州選手権は駄目になるといわれた。でも実際はそうならず、国家という単位が残る。

国家対抗戦の欧州選手権は、今回のワールドカップと同じでカーニバルの雰囲気が強い。街を歩く若い人々が振り回す国旗を見て、軍国主義を思い出して不快になる人がドイツにも少数ながらいるが、この国旗はカーニバルで扮装する衣装のようなものである。これは、EU加盟国が国民の日常生活をしきる主権をどんどん統合欧州に委譲し、いわば日常の向こう側の世界に移転し、一種の「カーニバル国家」になりつつある状況の反映かもしれない。

少し前、友人が日本から「サッカーを知的に愉しむ」(光文社新書)という本を送ってくれた。著者はサッカーのことだけでなく、その背後にある文化や仕組みに鋭い視線を向ける。欧州のクラブサッカーのバブル現象についての分析も正確で、自分が漠然と感じていたことがはっきりする気持がした。

サッカー文化が日本でも定着して欲しいとか、そうなることで日本社会の閉鎖性が改善されるとかいった著者の思いに、私は読みながら素直に同感できた。

サッカーは多くの国で普及したという意味でグローバルなスポーツである。同時に町のクラブを経由して住民が実感できる地域コミュニティーとむすびついている。地方分権制のドイツから見ると、日本社会は企業と中央集権国家に統率された行政機構が強いようみえる。それだけにサッカー文化の定着には難しい環境であるかもしれない。とはいっても、日本社会が現在変わりつつあるというのも、どこか正しいのである。

昔メキシコ・オリンピックで銅メダルをとった日本のサッカーはその後すっかり元気をなくした。四年後のサッカー・ワールドカップはドイツで開催されるが、日本チームが出場して元気なプレーを見せてくれることを、私は心から願う。

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