「欧州どまんなか」 August 6, 2002
ヒロシマとナガサキ

美濃口氏の写真 美濃口 坦
ミノクチ・タン

1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)

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私はドイツの日本学関係者のメーリングリストに入っている。学会のお知らせが多いが、ある時「核戦争阻止のための国際医師団(IPPNW)」というNGOで実習をする学生の手紙が眼にとまる。原爆についてドイツ語の小冊子を作成しているが、日本語能力に自信がないので誰か助けてくれないだろうか、とあった。私は時間が許すかぎり手伝うとメールを送る。その後、私は何度か日本語で書かれた手紙を添削した。

そんなことをすっかり忘れていた私のところに、少し前丁寧な礼状と「ヒロシマとナガサキ」という小冊子が郵送された。眼を走らせると「私たちは冷戦の終了で核の恐怖を忘れ」、かって核と通常兵器を分けた壁が欧米人の頭の中ではどんどん低くなりつつある。だからこそ今、日本の二つ町で起こったことを知らせるために編集したとある。

読みながら、私は「9月11日テロ」現場が「グラウンド・ゼロ」と呼ばれはじめたとき、自分が不愉快になったことを思い出す。「グラウンド・ゼロ」は、「原爆第一号の実験点火地点が当時そう呼ばれて以来、原子爆弾が爆発した場所(例えばヒロシマ)の名称となった」と百科事典にあるように、欧米人にとっては並みの普通名詞ではないからである。

誰かが原爆投下の記憶をぼかすために意図的に「グラウンド・ゼロ」と呼んだ。そうは、私は思わない。でも今年に入ってから私はいらだつ。というのは、米政治家の頭の中で核と通常兵器の区別がどんどん希薄になりつつあることをしめすニュースが流れてきたからである。でもこれは理屈で、もしかしたら、私は心の中のどこかでこの「グラウンド・ゼロ」という名称を米国人が日本から取り上げたと思っているのではないのだろうか。

数年前、私は家族といっしょに広島を訪れた。平和記念資料館の中をまわり、最後に訪問の感想を書き込みながら。ちらっと見ると英語で誰かが書いている。それは米国人で、読みながら私の眼頭があつくなる。もうこらえることができないと思った。娘が驚いて私を見ている、、、私は、この件で米国に謝ってほしいと思う日本人の一人なのである。

私が成人するまでの戦後の日本では原爆も何か生々しく、平和運動も盛んであった。当時インプットされ、私の中に出来上がった感じ方・考え方が今でも私の中に残っている。あの時からもう何十年も生きた私は今そう感じないし、また考えない。でも前の自分が残っていて、当時と同じように思ってしまう。

私が生まれてはじめて食べたチョコレートは「ハーシー」である。こんなおいしいものがあるのだろうか。当時の私は思った。今でもこげ茶色の地に銀色の「HERSHEY」のラベルを見ると過去の私がよみがえる。話が原爆となるとチョコレートと異なり複雑で厄介である。

日本の新聞にある「唯一の被爆国民」という表現は、原爆が日本人のアイデンティティーの一部になったことをしめす。確かに「被爆国民の一人」として学生時代の私は、米国のすることのすべてに憤慨した。語学の勉強ではじめてドイツに来た時、クラスで原爆のことを聞かれた私はもちろん「被爆国民の一人」として下手なドイツ語で核が廃絶されるべきと発言した。その時、私は自分が注目され、人類の先頭に立って走っているような気がした。

私は、外国に対して「富士山がある」とか、あるいは「日本にはコンビニがたくさんある」といばっていいと思う。でも、ある時から私は「被爆国民」という表現に苛立ちを覚えるようになる。というのは、大部分の日本人は当時被爆しなかった以上、自分を被爆者と見なすことなどできないはずである。

戦後、被爆者が後遺症で苦しむだけでなく援護体制も整備されず社会的に差別されていたことを考えると、この表現はもっと胡散臭くなる。昔日本を訪問したフランスの哲学者サルトルがインタビューでこの点を指摘した。ある国民の一部が不公平を被ったら当然援護とか補償といったことになるしかないが、当時の日本でこの法的考え方が希薄だった。

かってナチの強制収容所に閉じ込められた犠牲者は、日本の原水爆禁止運動のように大規模に「ノーモア・アウシュビッツ」運動の先頭に立つことはなかった。被爆者が前面に立って運動に参加したのは差別を受けて社会的に孤立していたからではないのか。こう考えると「ノーモア・ヒロシマ」に私は日本の戦後の悲哀を感じる。私を含めて被爆者でない大多数の日本人は「被爆国民」になり、人類に警告する役割を演じ、自分を重要と思うことができた。

でもこのような反核・平和運動は、被爆体験すなわち「被爆国民」という国民のアイデンティティーの上だけにのっかったもので、日本が経済大国になり別のアイデンティティーが生まれるとその分弱くなった。「体験の風化」といってもどこか仕方がないのである。ある時、私はドイツにはあまり見かけない「ハーシー」のチョコレートを見つけ大量に買う。少し食べたが、大人の私にはおいしくない。子供たちも感激しなかった。

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