「欧州どまんなか」 August 20, 2002
ノアの方舟

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いつもなら乗り降りする乗客でごったがえすドレースデン駅の構内が地下の下水道のようにみえる。矢のように流れる泥水が壁のタバコの自動販売機にぶつかりしぶきをあげる。外では、水に浸かった貨車の屋根だけが見える。

上流のプラハの町。砂袋を川岸に積む人々。モルダウ川は、昔中学の音楽の時間にうたわされた「なつかしい川の流れ」が名所のカレル橋を呑みこみそうにする。

水の中に半分沈んでしまった町、二階の窓からヘリコプターで救助される人々。テレビで見ると、北イタリア、オーストリア、チェコ、南ドイツなど欧州の真中を襲った集中豪雨がひきおこした洪水の被害は確かにすさまじい。

春先に雪解け水で河川が氾濫する程度のドイツでは、従来洪水とは外電が伝える遠い世界の出来事であった。これほどの大洪水が身近に起こると、旧約聖書にある「ノアの方舟」の話が多くの人々の脳裏を走ると思われる。

この創世記にでてくる大洪水の話の荒筋は次の通りである。
旧約聖書の神は、地上に悪がはびこり邪念しかない人類を創造したことを後悔し、大洪水をおこして腐敗した人類と生き物を絶滅させる決心をする。唯一の例外は「神と道を共にして歩む」人格者ノアで、神は彼にだけ大きな方舟をつくり、動物を連れてのるように命じる。その後大洪水になりノアの一族と同乗した動物だけが生き残る。聖書と無縁な環境で育った私は、この話をはじめて聞いたとき空恐ろしくなった。

まずこの話では、大洪水も天災でなく人災である。ドイツは日本のように地震も台風もあまりなく天災と縁遠い国であるが、この国の住人が天災の存在を認めず人間に責任転嫁する傾向が強いのは、この創世記の話の根底にある世界観と無関係でない気がする。

神戸地震のときもドイツ人ジャーナリストは、日本人以上に日本政府の対応の不手際に憤慨し批判していた。この点が当時私に奇異に感じれたが、これも彼らが心のどこかで天災を認めたくなかったからではないのか。

彼らが天災をあまり認めない傾向は、人間の影響下にない世界を小さくしたいからだと思われる。このノアの話の中では、人間以外の他の生きものも巻き添えにされ絶滅の運命にあうだけでない。洪水の後、今後繁殖できるように地上の生き物すべての管理が神からにノア一族に任される。彼らにとっては、私たち日本人が漠然と考える天地の万物の全部といわないまでも大部分が人間界に属するのではないのか。

この世界観は、天災だからと容赦しないで人間の責任の所在を明らかにすることにつながり、これは良いことである。というのは天災も人災が加わって被害が増大するからだ。

次に「ノア一族の子孫」が「環境」といった場合、この人間を中心に置く考え方がつきまとうのではないのだろうか。こうして問題が人間界に属し、自分の影響下にある「環境」となった結果、多くの欧米諸国で環境運動が盛んになり、政策として生かされたと考えることができる。

この「環境」の考え方は強みであるが、同時に弱みでもある。というのは、この考え方には、例えば人間だけでなくすべての生物が地球上で共生するといった考え方が希薄である。問題が人間界に属し人災となった途端、容易に影響力を及ぼすことができないことは問題でなくなる。その結果、「環境問題」がどこかで地球全体の問題であるという意識が失われてしまう危険があるのではないのだろうか。

企業をはじめ全員が「環境派」になったドイツではこの10年「緑の党」は票をへらし環境運動の危機が叫ばれている。この奇妙な現象もこの危険と無関係でないように思われる。

地球規模で見ると、今回は「同時多発」水害である。黒海沿岸、アジア各国、メキシコでも水害が発生した。インドやバングラデシュ、ネパールの3か国でこの夏の洪水で900人が死亡し、住宅を失うなど被害を受けた人は1500万人に上るといわれている。(これと比較して、ヨーロッパの被害は規模が本当に小さい)。

その一方、インド西部やパキスタンの一部やアフガニスタンなど世界各地で大規模な干ばつが起きている。これまで心配された地球温暖化による異常気象が今やはじまっていると考えることができるのではないのか。

今回のエルベ川の氾濫がきっかけでドイツ社会の環境意識が「地球共生意識」に近づくだろうか。私は悲観的である。

数週間後に選挙を控えるドイツでは、与野党のつばぜり合いと自国被害者に対する援助の大盤振る舞いで一件落着するような気がする。でも問題は、「神と道を共にして歩む」人格者ノアの一族だけが方舟にのって生き延びる話ではない。

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