「欧州どまんなか」 October  15, 2002
拉致問題について思うこと

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我が家の向かいに住むヒルデさんは妻と学校が同じだったので昔から親しくしている。ドイツには、第二次大戦後ソ連軍に逮捕されて有罪とされ、長年ソ連の収容所に入れられていた人がいる。二年程前、彼女はこのような人々に会って、彼らの証言を本にした。誤解のないようにいうと、彼らは普通の市民で、兵士として捕虜になり抑留された人々と区別されている。

例えば、14歳の少年は、路上で友達が彼の名前を呼んだために逮捕された。その後ソ連で17年間のラーゲリ生活をおくる。大戦末期、連合軍は占領後ドイツで「ヴェアヴォルフ(=狼人間)」というゲリラ活動が起こることを心配していた。彼の名前が「ヴォルフ」で、似たように聞こえたのである。次は16歳の少女で、父親が連行されてソ連軍兵舎から戻って来ない。心配してソ連軍兵士に消息を尋ねてもらおうとしたら逮捕。これは東ドイツ国家成立後で起こった事件である。

このような運命にあって人生の決して短くない年月を失ったドイツ人の数は三万人とも四万人ともいわれる。そのうちたくさんの人々が故郷の土を二度と踏めなかった。彼らは、人権を尊重する法治国家でなら裁判になっても無罪になった人々である。その意味で、彼らは非人間的な独裁体制の犠牲者である。

欧米では右のファシズムも左の共産主義も、民主主義と反対の全体主義とされ、この体制の犯罪を「全体主義の悪」と呼ぶことがある。「悪の帝国」とか「悪の枢軸」の「悪」は彼らの頭の中でこの「全体主義の悪」のイメージと重なる。

北朝鮮による日本人拉致もこのような共産主義独裁体制の犯罪、「全体主義の悪」である。北朝鮮が不法行為を平気ですることは、欧米では知られている。七〇年代、私はドイツの新聞で北朝鮮外交官が特権を利用して麻薬の密輸をしたという記事を読んだ覚えがある。この国家の不法性を訴える記事は昔から無数にあった。ドイツで拉致事件の報道が地味だったのは、よその国で起こったこともあるが、独裁国家・北朝鮮ならそんなことをしても不思議ないと驚きなかったからと思われる。

全体主義独裁体制の悪事は欧米人にいつも意識され、よく知られていることである。だから彼らは人権侵害や独裁国に対して時には過剰にまで反応する。反対に、戦後日本では長いあいだ「全体主義の悪」が多くの人々にとって死角に入って見えない、ピンと来なかった。私たちには欧米人のように共産主義も独裁体制で全体主義であるという視点が弱く、その結果左の全体主義の悪事に眼をそらすところがあったのではないのか。今回の拉致事件が日本社会で問題になりにくかった理由の一つはこの点にあったと思われる。

早い時期に拉致問題を調べたり被害者家族の援助運動をしたりした人々は絶対に賞賛されるべきである。北朝鮮がしたことを悪いというのも正しい。でも今、何度もいっているうちに北朝鮮の人間が悪いことになってしまったら、これは残念である。というのは、この結果独裁体制の悪という側面が見逃されることになってしまうからである。

今日本では、事件に憤慨して「拉致解明なしには(国交正常化)交渉に応ずるべきでない」と思う人が多いらしい。この要求が交渉を有利に導くための戦術なら理解できる。でも拉致解明を本気で要求するのはヘンである。というのは、独裁体制そのものが犯罪的で、だからソ連が崩壊してから共産主義体制の犯罪が少しは解明できるようになった。本気で要求するのは北朝鮮の体制崩壊を要求することで、話し相手に「今から死ね。その後でお前と話し合う」ということと同じになる。

問題は、犯罪的な独裁国家とのつきあい方になると思われる。私はドイツで暮らしているせいか戦後西ドイツの共産圏とのおつきあい、「東方外交」を思い出す。当時の政治家には、おつきあいする相手が法治国家でなく犯罪的であることも、またそれが早急に変わらないことも、絶えずわかっていることであった。彼らは「和解」とか「友好」とかを口にしながらそんなコトバに惑わされず、現実的で醒めていた。またどこか犯罪傾向のある人の世話をするソーシャルワーカーのようなところがあった。

私には日本が厄介な隣国と国交正常化の交渉を続けたほうがいいように思われる。拉致された人々の死亡が判明したのは家族には悲しいことであるが、でもこれはその前の不明瞭な状態より少し前進したと考えることもできる。

元ソ連収容所滞在者の老人とインタビューをしていた頃、ヒルデさんは会った人々がロシア人を憎悪していないことによく驚いていた。彼らのなかには、収容所の外に住むロシア人が貧しく、時には収容所の中より食糧事情が悪かったことで今でも同情している人がいたという。

このことを私が書くのは、在日朝鮮人の民族学校にイヤガラセをする日本人がいるという話を聞いたからである。欧米人のように「全体主義の悪」といったこむずかしいことを持ち出さなくても、日本には「罪を憎んで人を憎まず」という立派なことわざがあるのではないのだろうか。

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