「欧州どまんなか」 October  22, 2002
オトナをコドモ扱いする人々
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私はノートパソコンで日本のテレビニュースを見ることができる。でもアナウンサーがあらわれるまで長いあいだ待たなければいけないので、普段あまり見ない。でも今回は、私も見たのである。拉致されて一時帰国をした人々が故郷の町を訪れ、家族と再会する場面をである。日本で多くの人がテレビの前で感無量、万感胸に迫る思いで見たのでははないのだろうか。日本からはるか離れて、ノートパソコンの小さい画面を見る私もそうだった。

小浜に戻られた地村保志さんは次のようにあいさつする。

「、、、帰って来てみて本当にわたしたちの問題というのは、わたしたちの家族の問題じゃなしに日本の国民の皆さん、そしてわたしの育ったこの小浜市民の人たちの、本当の自分の子供の問題のようにして考えて今までそういう運動をしていただいたということを実感して分かるようになりました。、、、」

この人の発言で「、、本当の自分の子供の問題のようにして考えて、、」という箇所で私は驚嘆する。それは、この人が日本社会で自分が置かれた状況を的確に把握されているように思われたからである。

拉致事件が日本で問題にされるようになったのは、拉致された人々を「自分の子供」ように感ずる人が増えたからである。反対に、長い間問題になりにくかったとすれば、それは多くの人々が我が子に起こった事件のように感じられなかったからである。そう地村さんがいっていることになる。私は同感する。

そうなら、日本列島に一億の人々がいる以上、被害者を我が子の問題のように思うことなど、本当はなかなかできない。そう感じる人々の数がふえるまで、かなりの年月がかかってしまっても、どこか当然のように思われる。

「力不足を心から謝罪」し、肩身の狭い思いをする日本の政党も、事件が我が子に起こったように感じることができなかったために力が出てこなかったのである。

欧米社会で似たような事件が起これば、もう少し早く対応していたと思われる。いやがる人間を連れていくのが悪いのはどこでも同じである。とすると、社会で不法行為に憤慨し被害者に同情するまでの経緯が異なることになる。欧米社会で頻発する人権論議がしめすように、同情し憤慨するまでに、どこかで理屈のようなものが介在しているのではないのか。

日本社会では、理屈のようなものが介在するのでなく、事件が我が子に起こったように被害者を身近に感じた時点で、はじめて私たちにピンときて、同情したり憤慨したりすることになる。これが大きな相違で、こう考えると、今日本で起こっていることで、私が日本らしいと感じ、欧米人が違和感をおぼえる現象が理解できるように思われる。

今日本のメディアは、故郷に戻られた五人の生存者が何を食べたかを含めて、その一挙一動を報道する。これも、被害者が我が子のように身近に感じることができないと、私たちが同情も憤慨もできず、話の種にもならないからではないのか。

次に、五人の生存者は、不法に拉致されたにしても、またそこの社会が不法な独裁体制であろうが、(おそらくとてつもない苦労の末)そこに長年暮らしている人々である。彼らの子供たちもそこの社会で育った。

こう思われ、また現時点では拉致被害者が置かれた状況がよくわからないのに、生存者とその子供を含めた家族全員の永住帰国を要求するのに私は違和感をおぼえる。この奇妙な要求をする政治家は、拉致被害者をコドモ扱いにしていることにならないだろうか。これも我が子のように感じないと同情も憤慨もできないことの反映であるように私には思われる。

また拉致事件で北朝鮮に対して「完全な原状回復」を要求する政治家は、人間である被害者を、不法運転でこわされた自動車と同じに考えていることにならないのか。またこの表現に対して私は疑い深くなる。こんなことをいう人は「民草」と称して国民の一人一人を引っこ抜いたり植えたりできると、今でも心のどこかで考えているのではないのだろうか。

共産主義独裁国は非人間的な体制であった。また西側の尺度では不法体制である。だから冷戦時代東側から西に逃げてくる人が跡を絶たず、当時ベルリンの壁ができた。でも東側の体制で幸せに暮らし、その時代を懐かしむ人もたくさんいる。また当時西側から東側に移る人も少数ながらいた。

被害者は拉致されて自由をうばれたのである。だから私は彼らに同情する。今度こそ、彼らやまたその家族にどこの国で生活するのがよいか判断する機会をあたえて、自由な決断をできるようにすることが望ましいのではないのか。ノートパソコンの小さな画面にうつる彼らの姿をを見ながら私はそう思った。そのためか私は、生存者の個人的事情もわからないのに勝手にその運命を決めようする人々に反感をおぼえた。

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