「欧州どまんなか」 November  12, 2002
ブタになるか、ヤギになるか

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ナンネさんは妻の友人でテレビや映画のメーキャップをする。かなり昔から私は彼女に散髪してもらう。自分が禿げで、最初必要ないと思われたが、妻が勝手に決め、私はしぶしぶ承知した。でもナンネさんは芸能界の裏話をしてくれて楽しい。彼女に年に一度だけでなく頻繁に髪を切って欲しい気がするが、髪の毛のほうが期待に応えて伸びてくれない。

今年も、私は彼女に散髪してもらった。ファッションショーの仕事が連続して、彼女は数日前ミュンヘンの自宅にもどったところで、若いモデルから母親のように慕われたとハサミを動かしながら語る。ナンネさんはドーピングする運動選手のように過酷な生活をすごす少女のモデルに同情し、節食し過ぎて生理がなくなった人もいると憤慨する。

私は第二大戦末期のドイツで、男性が戦場に出た後、女だけになり、日々の気苦労や先行きの不安から、多くの女性に生理がとまってしまったのを思い出してナンネさんにその話をするが、彼女は関心を示さず、話題はファッションモデルに戻る、、、

彼女の話を聞きながら、今年の夏「アエラ」で読んだ「痩せた女は魅力的か」という傑作な記事を、私は思い出す。そこにも女性が減量にはげむうちに生理が止まってしまう話がでていた。極端に痩せた女性が日本で美しいとされ、中国産の痩せ薬で死んだり、覚せい剤中毒になったりする人が多数いるという。記事によるとこの女性美の基準がファッションによってつくられ、女同士の世界だけで通用し、男性は痩せた女性に魅力を感じないそうである。この点が私には面白かった。

昔我が家を訪れた母が、大きい荷物を運ぶ妻を見て「今の日本の女はああいかない。戦争で買い出しになったら頼もしい」とほめたのを思い出しただけで、「アエラ」の話は私にもう一つ実感が湧かなかった。幸いにも、その記事を読んでから数日後、私は痩せ志向の日本人女性に出会うことができた。彼女は団体旅行の添乗員で、ミュンヘンの美術館の案内をする知人が、偶然絵を見にやって来た私に紹介してくれたからである。

彼女は本当に痩せて細く、染めた髪と化粧のせいか、遠い星の世界から飛来した着せ替え人形のような感じがした。見慣れるうちに、その女性の美しさが私に理解できて感動した。彼女がある日、買出しでサツマイモを大量に背負うことができなくても、そんなことは重要でない気持がしてきた。

ドイツにも、太っているために減量にはげむ女性はたくさんいる。日本女性の痩せ願望は、男性側の欲求を無視する点で反男性的で、また肉体を痛めつける点で反肉体的であり、かなり特殊である。ドイツで強いて類似現象をさがせば、自分の性に目覚めてから十四歳ぐらいまでの年齢の少女のあいだに見られるかもしれない。彼女たちは、雑誌の中のモデルと自分の姿の相違を気にしたり、どこかで自分の女としての性を拒み、痩せ志向の日本女性と類似した行為に走るといわれる。

ドイツの女性が日本のような極端な痩せ志向になりにくい理由はたくさんある。女の子も十三歳を過ぎる頃から、それまで同性ばかりでかたまっていたのが、男の子と混じり合うようになり、男女がいっしょに行動することが多い。その後も、例えば同じ会社で働く女性だからといって、女性社員としてより密接な関係をもつことが期待されているわけでもない。こうして日本のような女同士の世界ができにくい以上、そこでだけ通用する女性美の基準も生まれにくい。

男の子と女の子が混じり合った状態で、個人によって早い遅いはあるが、十代の中頃を過ぎた頃、ドイツではペアーができて性的経験をもつようになる。自分の思春期のセックス観を思い出すと、私には自分が男になるとか、男の世界に入るとか思って、男の世界を代表して女性に対面している気持があった。ドイツの青少年を見ていると、そのような気負った意識は希薄で、性関係も日常の一部になっている感じがする。痩せ志向女性は女同士の世界に閉じこもっているので、彼女たちのセックス観は思春期の私に近いように思える。

痩せ志向の美学は、女性を二メートル以上離れた地点から見たときにその美しさが発揮されるようにできている。こんなに離れたままで男女が性行為に及ぶこともできず、その際重要な役割を演じる触覚も無視されている以上、痩せ願望は潜在的に性を拒否するところがある。こう考えると、日本の痩せ志向は性関係を敵視する思春期前期の女の子に似て来ないだろうか。

ドイツの女性が日本的な痩せ願望をもちそうもない、もう一つの理由はこの社会にある裸体に対する肯定で、これは「自然に帰れ」のヨーロッパ的自然観の表現である。反対に、日本の痩せ志向の女性が男性に背を向けて、自分の肉体をファッションの刺身のツマにしてしまうのは残念なことである、、、

ナンネさんと私が痩せたがる日独の女性について話すうちに、今年度の散髪も終了。最後に、彼女は「三十歳になったドイツの女性はブタになるか、ヤギになるか、そのどちらかを選択するしかない」と笑った。コーヒーをわかすために台所へ行くナンネさん後姿を見て、私には数年前彼女がどちらを選択したか分かった。

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