「欧州どまんなか」 December  10, 2002
テロの恐怖

 

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先週の金曜日、十七歳の息子に友人のフィリップ君から電話があった。しばらくすると、息子は興奮して私のところへ飛んで来た、、、

<フィリップ君の知っている女性がミュンヘンの町なかの喫茶店でアルバイトをしている。
少し前、アラブ人の客が来た。客が立ち去った後、小さなハンドバッグが忘れてあるのを見て、彼女が中をあらためると千ユーロ紙幣が40枚、4万ユーロ(約五百万円)も入っていた。
しばらくするとアラブ人のお客があわてて戻ってきた。彼女は保管していたハンドバッグを渡す。バッグをあけて感謝したアラブ人は千ユーロ札を抜き出した彼女に渡そうとする。
彼女はそんなのはいらないと手をふったところ、アラブ人は驚いたような顔をして、
「今から二ヶ月のあいだ、シュタッフスに行っちゃいけない」と彼女に告げて立ち去った>

息子がここまで話したとき、私の身体中に戦慄が走る。シュタッフスはミュンヘンの町の真中で地下鉄、郊外電車、市電の線が全部集まる場所である。少し落ち着きを取り戻した私はフィリップ君の知人の女性が警察へ行ったかどうかを聞く。「警察はシュタッフスを二ヶ月も立ち入り禁止にするわけにいかない」ととりあってくれなかったという。

警官をしている友人に電話できくと、ケニアであったテロ事件以来、皆が神経過敏になっているためか、そんな噂が青少年のあいだでひろまっているのだと驚かない。そうなのかもしれないと私も思って電話を切りながら、でもやりきれない気持がしてきた。

新聞を読むと、毎日のようにパレスチナ人の自爆テロ、そしてイスラエル軍の報復攻撃。対イラク戦争が来年一月開始予定とある。まるで国際スキー競技大会が開催されるようにである。米国は何が何でもイラク攻撃に持ち込みたいようだ。そのうちに、私は「ザ・オブザーバー」誌でもう一月近く前に読んだ記事を思い出した。

その記事には、ロンドンにある亡命イラク人団体が、十月に米国の石油メジャー・三社とイラク戦争後の原油利権の分割について交渉したことを認めたとある。こんな秘密会談が公表されてしまったのは、ナカマはずれにされた英国石油メジャー・BPや、イラクの石油利権に関係するロシアやフランスが騒いでいるからである。でも、このような経済的なことが戦争を決意させたとは私に思われない。

ケーキの分け前の相談をしても、戦争でケーキが踏んづけられることもあるし、その後に内乱状態になったり自爆テロが横行したりしたら、落ち着いてケーキなど食べられないのである。商売人は合理的で、そんな事情は承知している。彼らは、ケーキ分配の確率がゼロに近くても、保険としてそのような交渉はすると私は思った。

米国が今戦争をしたく仕方がないのは、経済とかいった合理的なものとは関係なく、暗い道徳的情念に動かされているからとしか私には思えない。彼らは本当にフセインを消えるべき悪い奴だと思っているのである。その点で戦争に反対する(独首相も含めて)ヨーロッパ人も同じである。彼らは、独裁者を打倒する目的のために、後がどうなるかわからないリスクのある戦争をするのはまずいと反対しているだけである。でもこれは商売人に近い、、、、

そんなことを考えていると妻が帰宅した。息子からテロのうわさを聞いた彼女は心配して、翌日日本の学校へ通う子供たちを自動車で送り迎いをするように私に頼んだ。この学校は町の真中にあり、電車で行くとテロのうわさがある駅を通るからである。少し大げさ過ぎると思われたが、こういう場合、昔から私は妻の気持を尊重することにしている。

翌日出掛けに、妻が、学校の近くにあるユダヤ協会の通りで駐車してはいけないと叫んだ。子供を学校の前でおろしてから意外に早く安全な道路で隙間を見つけて縦列駐車に成功。私は久しぶりに町中を散歩する。

暇をもてあました私は喫茶店に入って、置いてある新聞を片っ端から読む。誰かが猛烈にイスラエル批判をしている。ドイツの新聞でそんなことを書くのはユダヤ人に決まっていると思って視線を下に走らせて名前を見ると、やはりそうだった。そのとき「ヨーロッパに居住するユダヤ人はシャロン首相に人質にされたも同然」という文句が眼に入る。

喫茶店を後に、私は子供たちを迎えに学校へむかう。大きな画廊のよこを通り過ぎながらガラス越しにのぞくと、中でたくさんの人が楽しそうに宴会をやっているではないか。私は立ち止まる。「キッパ」というお皿のような帽子をかぶっているのでユダヤ人とわかって、「人質にされたも同然」という文句を、私は思い出す。しばらくして心配性の妻の顔が脳裏に浮かび、私はまた学校にむかってゆくり歩くが、自分がすっかり元気にになっているのに気がついた。

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