「欧州どまんなか」 January  07, 2003
大人のための一日おくれのクリスマス
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私はフランスの作家ラブレーの小説に登場する大食巨人の名前をとった京都・北白川のビストロに坐っている。私がこんな場所にいるのは三週間妻と息子をドイツに残したまま、娘と二人だけで京都に滞在していて、甥に誘われここで開かれた「大人のための一日おくれのクリスマス」という集まりに出席しているからだ。

色のついたロウソクの入った箱がまわってくると出席者は好きなのを選び、火をともすようにいわれた。私は小さな赤いローソクにする。

私は近くに座っている少し前離婚した女性とドイツの離婚事情について話す。それから、私は眼の前でともるロウソクの炎を眺めながら、甥からもらったパーティーの案内状にあった「ろうそくに火をともすことで、とても温かい安らぎの空間となる事でしょう」という文句を思い出した。

昔学生時代ゼミで親しくなった女性の部屋に行き話し込んでいると暗くなり、彼女がロウソクをともした。「台風が来て停電になったのでもないのに」と苛立った私はロウソクを消して電灯をつけてもらった。ずっと後になってから、彼女が本だらけの殺風景な自室を「温かい安らぎの空間」に変えようとしていたことに気がつき、自分の無粋を恥じた。とはいっても、今でも私は停電に悩まされた日本の戦後の子供のままにとどまり、妻がロウソクをつけたりすると困惑する。

北白川のビストロに集まった十五人近い人々の年齢も、また職業も色々で、独身者も既婚者も、また離婚して新しいパートナーと一緒に出席している人もいる。また一人だけで現われた人も、カップルで来た人もいる。色々な人が来ていることでも、またどこか自由な感じがする点でも、ドイツの我が家で友人や知人が集まったときに似ていると思った。

この集まりを組織した「和顔」代表の女性が私の横を通り過ぎる。ドイツ人女性の体型を見慣れた私には、ほっそりとした彼女の身のこなし方がとても優雅に見えた。私と異なり学識豊かな甥が「和顔」とは笑顔で優しい言葉を語りかけるという意味の「和顔愛語」という仏典のことばからとったものであると教えてくれた、、、

我が家では毎年妻がもみの木を買ってきて居間に大きなクリスマスツリーをたて、12月24日に親族が集まって祝うことになっている。私は今回京都でキリスト教徒に重要なその日に娘を独りにして大学時代の友人と飲みに行こうとしていたが、妻から警告の電話があった。結局、私は友人と午後喫茶店で会い、夜は娘と過ごした。

私の近くに坐る丸顔の女性が周囲の人々に何かしきりに訴えている。興味をそそられて耳をすますと、彼女が結婚を控えているが、相手の男性が彼女を利用ばかりして負担になり、結婚する決断が正しいかで迷っていることが次第に分かってきた。

知らない日本語の単語も出てきて、私には彼女のいうことが全部理解できない。彼女は一度「彼がエッチしたいだけだ」といった。私は「エッチ」を鉛筆の硬度と思い、結婚相手の男性が硬めのHの鉛筆で落書きする癖があって、彼女が健気に消しゴムで消している姿を連想する。

何度かこの単語を聞いているうちに、昔私が日本で暮らしていた頃、女性の身体に触りたがる男が「ヘンタイ」とか、またそのイニシャルをとって「エッチ」とか呼ばれていたのを思い出す。私が日本を留守にしている間、日本の男性も触るだけで満足できなくなり、単語のほうも動詞のように使われていることに気がつき、自分の訓詁学的能力に誇りをおぼえる。

食事はかなり進行していた。丸顔の女性の口からは次から次へと似たような内容の無数のセンテンスが出てくる。彼女が話すという別の形で咀嚼を続けているような気がしてきた。食べたり飲んだりするように話すことは健康なことで、彼女が誰と結婚しようが、幸せな人生を過ごすような気がした。

でも彼女は結婚相手のほうばかりが「エッチ」したがるように話す。彼女のほうはしたくないのだろうか。私が日本で暮らしていた頃、日本の女性と「エッチ」する度に心の片隅で自分が相手に負担になっている感じがしたのを思い出した。

負担の公平な分担は男女関係でなく、人間関係一般、また社会でも古今東西厄介な問題で、夫婦喧嘩や離婚、また政権交代や革命の原因にもなる。でも結婚の決断に関してドイツの女性はこの日本の女性のようには語らない気がした。これはドイツでは男女が同棲するのが一般で、結婚の決断が法的事後承認に過ぎないところがあるからだと思われる。

従来日本滞在期間が短いこともあって、滞在中の私の日本人との接触は旧交を温めるか、行きずり人の人を眺めることに限定されていた。でも今回は、私はおいしい料理とワインを賞味し、知らない日本人と拉致問題から子供の教育問題まで話しをすることができて、とても幸せなひと時を過ごした。

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