「欧州どまんなか」 January  14, 2003
娘と私の東京見物

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十四歳の娘と私は秋葉原の電気街をさまよう。
彼女は携帯電話が必需品になった世代で、日本到着以来ヨーロッパの携帯電話の技術的遅れを嘆いてばかりいる。日本の携帯はカラーで、カメラがつき、インターネットに入ることができてたくさんの音楽をダウンロードできる。

ドイツでは同じ性能のものが邦貨で八万円も九万円もするという。毎月基本料金を払う契約をするとその種の携帯も少し安くなるが、それでも四万円はすると娘は憤慨する。クラスの中では、娘は電話料を前払いする多数派・貧乏組に属する。

娘はベービー・シッターをしてお金を稼いでいるが、それに毎月妻からもらう二千円足らずのコヅカイを加えても資力は乏しい。だから携帯で話しだしたら月初めの数日間で前払いした電話料金がなくなるので、彼女はできるだけメールの交換だけに使用するという。彼女が携帯をもつことの利点は母親が夜の外出に関して寛容になる点にある。娘と日本に来るまで私は携帯電話のことなどよく知らなかった。

娘は日本で安くて性能のよい携帯電話を購入してドイツで使うことを夢見て、日本でどこへ行こうがこのことしか頭の中にないようであった。最後の頼みの綱であった秋葉原で結局ドイツで使えないことがはっきりして彼女は落胆する。そこで私は電気街を後にして娘をお台場に連れて行くことにする。

街頭で中年の男性に駅をきくと英語で答えはじめ、そのうちに日本語で説明してくれた。日本語で私がお礼をいうと、今度は元気よい「ユア・ウェルカム」がもどってきた。生まれつき「茶髪」気味の娘を連れているために私は外国人と思われてしまったが、彼が親切な人であることにまちがいない。

お台場の駅で降りると、東京は摩天楼のそびえるニューヨークのようにみえた。そう思っていると突然娘がケタケタ笑う。その理由は本当に「自由な女神」の像が立っていたからである。近くの「アクアシティー」と呼ばれるデパートの中で私は喫茶店に坐り読書。元気になった娘は自由行動。でも迷子になることを心配する私のところに半時間毎に戻ってきて「ドイツの運動靴が本国より安い」とかいったことを報告する。

翌日予約しておいたハト・バスに親子で乗車。私には修学旅行の東京見物の思い出があり、娘に少しでも東京を見せたいと思ったからである。ヨーロッパの町で観光バスに乗って、2、3時間説明されるとその町と少し知り合いになった気がする。ところが、東京では5時間半も続いたのにそんな気持にならなかった。


最初の訪問先の皇居でこそ、昔のように少し説明してくれたが、その後訪れた浅草もまた東京タワーでも一時間以上も自由時間が設けられていて、途中バスの中でガイドから聞く説明の大半が次の訪問先の買い物案内であった。この事情は、観光も見物でなくなりショッピングになってしまったこと、また日本人には買うことが見たり聞いたりすることの代わりになりつつあることを意味する。(これは一種の退化現象である)。

昔「ベルリンの壁」があいた直後、共産主義国家・東独から西ベルリンにやって来た4人の男女の後をくっついて歩いたことがある。彼らはデパートのチョコレート売場で何百種類ものチョコレートを見て腰を抜かすほど驚いた。

私はドイツから日本を訪れるたびに自分があの時の4人の一人になったような気がする。というのは、品物やサービスの豊富さや高品質、また便利さという点にかけては日本のほうがはるかに発達していて、私にはドイツが社会主義国のように思われるからである。

日本はいつも活気があり、京都でも街並みがどんどん変わり、一年以上ご無沙汰すると自宅の近くで迷子になる危険がある。ということは、景気が悪いとはいわれながらもけっこう投資されていることになる。

大阪と東京の間を数分ごとに運行する新幹線に乗るたびに、私はこれほど多数の人が行ったり来たりする日本社会に驚くしかない。ドイツにも「新幹線」に相当するICEがあるが、大都市の間を一時間にせいぜい一本か二本走るていどに過ぎないからである。

日本人が商売上手であることにも、私はいつも感心する。あまり必要もないものを必要であるかのように思わせるのが上手で、今回も携帯電話にデジカメをくっつけて私の娘をたぶらかした。私には、日本は商業主義が社会の隅々に浸透し、絶えず新しい欲望がつくりだされ、商品化され、付加価値がうまれる国で、資本主義が極限まで進んてしまった社会である。今回も私は娘と日本暮らしながらあらためてそう思った。

人間の欲望にも、また時間にも限りがある以上、日本の経済がすでに到達したこの高いレベルにとどまって成長しなくなったのは当然のことである。そう考えないで問題とみなしたことこそ、私には日本の不幸のはじまりのような気がする。

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