「欧州どまんなか」 February  04, 2003
ノーと言ったドイツ

バックナンバー目次に戻る


「、、、どの点をとってもドイツがかなわない国に対して無力を感じていること、途方に暮れていることが、彼の顔に書いてある」と二、三日前のドイツの新聞にあった。

ここで誰の顔かというとシュレーダー独首相で、「ドイツがかなわない国」とは米国である。ドイツもサッカーだったら勝てるかもしれないけれど、確かに軍事的にも経済的にもこの超大国にかなわない。毎日のように彼に会う記者に、彼が「途方に暮れている」とみえるのは、何が何でもイラクと戦争したいブッシュ米大統領に「ノー」と言ったからである。

その結果、彼は「EUを分裂させた」と、現在非難されている。というのは、英国、スペインなど親米派の欧州八カ国の首脳が連名で、欧州有力紙に声明を公表、一致団結し、イラク問題で米国を支持する必要を訴えたからである。

彼が「ノー」と言ったのは、去年の選挙戦のときである。当時友人の一人が「米国はドイツをどうするのだろうか。ハンブルクを爆撃したりしないと思うが、、、、」と冗談をとばした。

こんな冗談が出たのは、第二次大戦後終始、ドイツは米国に表立って反対しなかったからである。ドイツは、冷戦のあいだ自国を守ってもらい、豊かな社会を築くことができたことで米国に感謝することを国是にしてきた。

「ベルリンの壁」ができた後、当時のケネディ米大統領が西ベルリンで演説した。最後に、彼が下手なドイツ語で「私はベルリン市民です」というと、群集が大歓声をあげる。今まで、私はテレビでこの場面を何回見たことだろうか。30回はこえているような気がする。

私は自分が日本人であるせいか、ドイツ人を見ていると、彼らが「戦争に負けて良かった。(ソ連でなく)米国に占領されて私たちは幸せだった。だからドイツはこんな良い国である」と自分にいつも言い聞かせているような気がして仕方がなかった。ドイツの知識人が書いたものを読んでも、結局この意識を国民に植え付けるために皆が競争で理屈をこねまわしているだけと、私に思えることがよくあった。

でも、「自分は幸せ」と四六時中自分に言い聞かせている人は、本当に幸せなのだろうか。

米国に「ノー」と言ったシュレーダー首相は、現在国内で「ドイツを国際的に孤立させた」と非難されている。これは、ドイツ国民が米国と意見が対立して「世界の孤児」になることを心の底でおそれているからではないのか。

去年の選挙中、私は、シュレーダー首相の発言を聞いた。彼は、対テロ戦争で米国に協力することを約束したが、イラク攻撃はこれと無関係で軍事的に協力できないと述べた。私が特に好感を感じた点は、アフガニスタンの現状が一触即発の不安定な状況であることを認めたことである。ドイツは派兵しているので、アフガニスタンは自国兵士の安全に重要な問題である。

またこの発言は、対テロ戦争・第一ラウンドのアフガン戦争が失敗だったことを間接的に認めていることで、私には正直だと思われた。米国は、爆撃だけして「勝った、うまくいった」と欧米のメディアにいってもらっているだけである。

対イラク戦争でも、独裁者を打倒して民主的国家をつくり、これを足場に中東全域に平和をもたらすようなことをいう。こんなのは、ベトナム戦争での「ドミノ理論」と同じ単純思考で、今度はドミノが反対方向に倒れていくという話に過ぎない。当時父親のコネでテキサスの州兵になってベトナム行きを逃れて、今大統領をつとめる人には過去の失敗から教訓を得ようなどと思わないのかもしれない。

シュレーダー首相は、もう少し小声で、それもめだたないように、できれば密室で「ノー」というべきであった。彼がそうしなかったのは、自分が選挙に勝ちたかったからである。そのために外交の定石を無視した。そう非難するドイツ人は少なくない。この見解には一理あるが、でも、相手からドイツは絶対俺の言うことはきくと思われていた以上、いずれは摩擦がさけられなかった。

フランスも反対しているのに、ドイツに対してだけ米国の怒りが向けられる。こんなことを嘆くのは、試験ではじめて悪い点数をとった優等生のボヤキに似ている。

ドイツやフランスが反対したからといっても、戦争ははじまる。米国との協調を絶対視するドイツの考え方は冷戦の遺物である。現実が変わっても頭の中が変わるまで時間がかかった。今回の「ノー」がきっかけでドイツと米国の関係も普通になるかもしれない。その結果欧州の米国離れにも一段と拍車がかかると思われる。

ケネディ米大統領の「私はベルリン市民です」も、これからはドイツのテレビであまり見られないかもしれない。

バックナンバー目次に戻る