「欧州どまんなか」 May  06, 2003
母の心配

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小さい頃私は母に、大人になったら何になるべきか尋ねた。母は、医者はよくないといって軍医としてビルマ戦線で戦死した父の友人を挙げた。文科系は二等兵で最初に死ぬという。話を聞いていると、子供の私にはエンジニアになると死なないですむような気がした。でも土木技師になると工兵として橋をかけるために戦場におくられると、母は私に警告した。

母の心配を無視して大学の文科系に行った頃、ある日新聞を読んでいて私は仰天する。米軍兵士になりベトナムの戦場に送られそうになった日本人の若者が日本で脱走したという。

日本人の彼がなぜ米軍に入ったかというと、渡米し暮らしているうちに市民権を得ようと思い、兵役志願が一番手っ取り早い道でそうした。ところが、戦場の危険が身に迫り、結局彼は考え直したという。自分とあまり年齢の異ならない同国人の若者に対して、私は当時心の中で非難した、、、

なぜこんな昔のことを思い出したかというと、イラク戦争の真っ最中似たようなケースについて読んだり聞いたりしたからである。最初に戦死した十人の米兵のうち五人は米国国籍をもたない外国人であった。

外国人が兵役志願する理由はグリーンカードを取得するためといわれる。このような外国人が米国の戦争にはいつも参加していたので、今回がはじめてでない。現在140万人もいる米軍のうち、3万2000人がこのような外国人兵士である。

今回テレビを見ていると、たまたま流暢なドイツ語を話す米国兵がいたが、彼はドイツ人であった。でもこのような外国兵の多くは中南米から来た人々である。

ヒスパニック系が米国人口の4分の1を占めるが、軍隊ではその割り合いが多くなり3分の1以上になる。この数字からも、またテレビにうつる米軍兵士の顔を見てもわかるように、戦場で身を危険にさらすのは米国社会の底辺にいる人々である。

こうであるのは、兵役終了後奨学金をもらえるなど、軍隊に入ることが、多くの人々にとって社会的に少しでも上昇するチャンスになるからである。

今回戦死した米国黒人兵の父親がテレビに出て、恨んでいないと断りながらも写真を手に米大統領に息子の顔をしっかりと見るように要求した。また彼は戦争反対デモをする人々にも、なぜ息子が兵士になったかを考えてほしいと訴えた。

グリーンカード取得のために兵士になる人であるが、今では昔のように私は一方的に非難できない。これは自分も外国で生活し、また滞在許可とかいった厄介な法的問題を抱えたり、そのことで悩んでいる人々と知りあったりしたからである。

昔、日本人の優秀な自然科学究者がこのような法的問題ですっかり神経をすりへらしているのを、私は身近で体験したことがある。自国で暮らすのがいいといわれても、個人の事情でかならずしもそういかないことがある。また窮状に陥った人間がいろいろなことをするのを、私は何度も見た。

法的権利が制限されている外国人も、経済的理由から教育を受けられない人々と同じように社会的弱者である。社会的弱者をかき集めた軍隊をつくると、その国の政治家は戦争をしやすくなるのかもしれない。

ドイツは兵役義務を保持する数少ない先進国の一つである。兵役義務廃止に反対する人々は、軍隊が職業軍人だけになることによって戦争を国土防衛に限定する歯止めが失われることを憂慮する。

この心配は、兵役義務があったベトナム戦争時の米国で反戦運動が強かったことや、また外人部隊をもつフランスが海外派兵にあまり慎重でないことを考えるとまとはずれではない。

日本には兵役義務がない。昔親しくしていた韓国人のドイツ文学研究者が三年あまり軍隊にいたのを知り私は驚いたことがある。母は戦後の日本に兵役がないことをいつもよろこんでいた。でもこれには、歯止めがなく、うっかりすると海外派兵が軍人という職業のリスク問題と見なされる危険がある。

もともと島国で安全地帯にいるためか、日本のメディアでの戦争記事がスポーツの観戦記事に近いことを指摘したドイツ人と数年前に会ったことがある。そうなら、せいぜいオリンピックに日本選手団を派遣するようなレベルで軍事的介入の決断をすることだって考えられることになる。

戦争が国内では社会問題と関連し、また国際的には「別の手段による外交の延長」である以上、政治的決断である。これは平凡で陳腐なことであるが、忘れられると戦争が非政治的真空地帯の事件、すなわち天災と同列の「悪いこと」になり、政治的議論の対象になりにくい。この事情も、国家が慎重な決断を下すのに望ましい条件ではない。

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