「欧州どまんなか」 July  01, 2003
日本の存在感

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事件の日付は6月7日だから、もうかなり前のことである。

その日の朝、アフガニスタン首都・カブールの国際治安支援部隊(ISAF)の独軍キャンプでバスに乗り込んだ33名の兵士は上機嫌だったといわれる。というのは、その日彼らは半年ぶりに帰国の途につくことになっていたからである。

飛行場にむかって走るバスは、カブールとジャラーラバードをつなぐ交通量の多い幹線道路にさしかかった。そのときタクシーが出てきて、一度は兵士を乗せたバスを追越そうとしたが、あきらめたかのように横に並びバスに接近する。次の瞬間タクシーが爆発した。

この自爆テロでバスに乗車する4人の兵士が死に、29人が重軽傷を負った。また重傷者のなかには辛うじて命をとりとめたものの、手足を失った兵士が何人もいるといわれる。

アフガニスタン駐留ドイツ軍は何をしているのだろうか。彼らは「人権を尊重し、治安を築き保ち、人道物資の配分並びに難民の帰還にあたり移行政権を援護している」そうだ。

「移行政権」のカルザイ大統領とは「カブール市長」と呼ばれて、「市庁舎」の中でも米国のボディーガードに守ってもらわなければいけない人である。この事情からドイツ兵士もカブールの街中を行ったり来たりするしかないといわれている。となると、当然何のために派兵したかという問いは避けて通ることができない。特に現場で指揮にあたるヴェルナー・フレーアス旅団長のような人にとって、そうである。

「私も、これは何のためかと自分に問いかける。これは兵士の死に値することではない。重要なのは何のために派兵されたかで、これはまず政治的問題であるが、それは政治家が決断したからである」(「シュピーゲルTV」とのインタビューから)

政治とは政治の問題で、、人間は何かの理由でこれ以上説明できないと同語反復するしかないようだ。でも自由な立場にある軍関係者は「ドイツ兵士を撤退させるか、それとも兵力を増員するしかない」と訴える。「兵力の増員」とは本腰を入れてアフガニスタンを平定することで、国際社会はそんな面倒なことをする気は毛頭ない。とすると、撤退しかないことになる。

こうなったのも、ドイツが9.11の後、「無秩序の地域、地球上の多くの場所で現実となった、政治秩序が完全に欠如した地域、それを許さない世界秩序をつくるためだ」(フィッシャー外相の議会演説から)といって、「タリバン征伐」に参加し、アフガニスタンに派兵したからである。

タリバンは当時彼ら固有の回教法・シャリアに基づく支配秩序を築きあげていた。これを批判するのは勝手であるが、「無秩序」と呼ぶのは奇怪千万ではないのか。

カブールに駐留する軍関係者は「戦争は終わっていない」という。昔は、戦争相手が見えなくなり奇襲攻撃がはじまったら、パルチザンとか、ゲリラ戦争とか呼んだものである。同じ状態を、21世紀の政治家は「治安が悪い」という。まるで大都市の地下鉄で強盗が横行しているかのようではないか。

ドイツ軍が撤退しない政治的意味は、自国兵士にカブールの町を歩かせて危険にさらし、タリバンの「無秩序を許さない世界秩序」が存在するかのように見せいるだけではないのか。

またこの自爆テロの前に50名のドイツ兵士がイラン国境に近いヘラートの町に派遣される計画が取り沙汰された。こんなわずかな兵員では何もできない以上、イランと事を構えたい米国に対するオベッカのジェスチャーに過ぎない。

このように国際政治が、見せかけ、「見世物的イベント」になり、本当の現実からどんどん遠ざかりつつある傾向は今にはじまっったことでない。国際社会で政治家がお互いに親しくもないのにファーストネームで呼びあうようになった前世紀80年代後半に、その萌芽を見ると人々は少なくない、、、、

パルチザン戦になりつつあるイラクに関して少し前、ポーランドをはじめウクライナやホンジュラスなどの20カ国がわずか7千人ばかりの兵士を派遣する多国籍安定部隊の編成が発表された。こうなると、渡航費もギャラも費用は米国が払うので戦争映画の撮影に雇われたエキストラの感がしないでもない。

日本もイラクの復興支援のために自衛隊を派遣するそうだ。「日本の存在感をアピールしたい」とか「目に見える貢献を、、、」とかいうのは、初舞台を前にした新人のようである。

小泉首相はブッシュ米大統領と懇意であるといわれる。いっそうのこと、日本の首相は1千人程度の自衛隊を派遣する端役では満足できない、20万ぐらいは送ってイラクの半分は占領したいと、米大統領に配役の大幅変更を求めるべきではないのか。そのほうが「日本の存在感」を本当にアピールできるような気がするが、、、、、

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