「欧州どまんなか」 July  08, 2003
国際人失格

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知人の日本人女性が日本からあそびに来た親友といっしょにミュンヘンのイギリス庭園にあるビヤガーデンに行った。ビールがおいしく、同じテーブルに坐っていた人々とときどき話をかわし、とても楽しいひと時を過ごしたという。

ところが、彼女の親友は帰りぎわにハンドバッグから日本の浮世絵の絵葉書を何枚も出して同席した全員にプレゼントとした。私の知人は自分の親友のその行動に苛立ちをおぼえたと私に訴える。

ドイツ人のほうはビヤガーデンで酔っ払って話していて、突然絵葉書をもらって驚いたかもしれない。でも何かあげることは気前のよいことで、これは本来よいことである。

日本には贈り物をする習慣が発達している。あまりそうでないドイツで暮らすうちに自分が日本的美徳を失ってしまったというのが、私の長年の弁解であるが、昔から私を知る姉は私が子供のときからケチだったという。絵葉書よりビールをごちそうされたほうが同席者は喜んだかもしれない。でも絵葉書のほうが安上がりでよかった。

そんなことをいって私が茶化していると、知人は気を悪くしはじめた。「問題はそんなことでない」と彼女は抗議する。絵葉書をもらった人々が奇妙に思い、親友の女性が(本当はそうでないのに)旅行会社勤務で日本への観光旅行の宣伝をしていると誤解するかもしれない。また親友が日本人であるとか日本を代表しているという意識を持ち過ぎていると、彼女は批判する。そんな話を聞くうちに私は六〇年代後半自分がはじめてドイツに来たときのことが懐かしく思い出される、、、、

私は出発する前鎌倉の姉の家に泊まった。姉は以前に数年間もドイツで暮らして西洋のマナーをよく知っている国際人であったからである。私は音が出ないようにスープをオサジですくって喉に流し込むコツを稽古する。親切な姉は私にいろいろなこと教えてくれ、特に女性に親切にするように忠告した。私もその通りにして国際的な日本人になることを固く決心する。

世界にはばたく私は飛行場で禁煙まで決意する。免税店でタバコが安いのに驚き、誰かにあげようとワン・カートン購入。飛行機はアラスカのアンカレッジでとまり、お土産物屋が並ぶホールで待っていると、私はタバコがすいたくなる。

ところが、数時間前に禁煙した私はマッチを持っていない。売店でマッチを買おうと思うが、私はマッチを英語で何といったのかを思い出せない。そのとき、飛行機の中で見た上品な日本人青年が通り過ぎて、私は彼にマッチを買ってくれるようにたのむ。彼は見事に英語を使ってマッチの入手に成功。彼からマッチは英語でもマッチだと聞き、私は自分が緊張しすぎていることに気がつく。

これがきっかけで私は飛行機の中でその青年と話すようになり、そのうちに彼がドイツ駐在日本大使の息子とわかって、あらためて国際人としての彼の態度に感心する。

ハンブルクに着陸して、私の国際人としての活動開始。私は姉の忠告に従がって、まず隣に坐っていた英国人のおばあさんのトランクをロンドン便・搭乗口まで運び感謝されたが、もう少しのところで自分が乗るミュンヘン行きの飛行機に間に合わなくなる危険を犯す。

その後、南ドイツの田舎町でドイツ語講習会に参加。ここでも私は国際人として活躍。女性がコートを手にした途端駆けつけて着るのを助け、また部屋から出ようとするとドアをあけ、誰かの指がタバコに触れた瞬間には、私の手の中でライターは点火していた。

ドイツ語講習会に参加している世界中の色々な国の人々に対して私は親善外交を展開。日本について説明し、持ってきた30枚ばかりの日本の絵葉書があっというまになくなってしまう。(私も絵葉書をプレゼントしたのである)。

一週間近く国際人として大活躍したある日のことである。玄関のホールで私は、出ようとする誰かのためにドアをあける。その瞬間授業の終わったクラスあって、多数の人々が帰りはじめる。また入って来る人も現われて、私は15分ぐらいドアをあけたりしめたりするはめになった。そのとき、私は自分がキャバレーのドアボーイと同じことをしていることに気がつく。

その頃から私は国際人になるのが面倒になり、ドイツでも京都にいたときと同じ人間のままでいたいと思うようになる。また自分以外、どこの国の人も国際人になろうなどと努力していないことに気がついた。この後、私は気楽になって幸せになる、、、

私の知人は、自分が外国で長年暮らしていて、自分が日本人であるとか、日本を代表しているとかいったおおげさな意識を抱かなくなったという。もしかしたら、日本で頻繁に要求される国際化は日本人意識を強め、その結果自国を特別視することになり、かえって他国民との付き合いを難しくすることにならないだろうか。

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