「欧州どまんなか」 July  29, 2003
大きな栗の木の下で、あなたと、、、

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「『感じの悪い男』は注文したコーヒーが来ると一口飲み、近くのパン屋で買ったメロンパンを紙袋から出してかじりはじめた。その後、この男は一杯のコーヒーで本を読んで何時間もねばる」

昔私が京都で暮らしていた頃のことで、確かに喫茶店にもサンドイッチやトーストなどの食べ物がある。それなのによそから持って来たものを食べるなんて厚かましい。商売アガッタリとはこのことではないのか。

後になって親しくなった喫茶店のウェイトレスから、こう文句をいわれた「感じの悪い男」は私である。でも私のほうにはそんなに悪気はなかった。喫茶店にメロンパンやアンパンは置いてなかったし、本屋で買ってきた本を読んでよいなら、なぜパン屋で買ってきたメロンパンやアンパンを食べてはいけないのだろうか。喫茶店は本屋でもパン屋でもない、、、、、、、、

その後、私はミュンヘンで暮らすようになる。この町のビヤガーデンでほろ酔いになり、話が途切れたとき、私は自分が京都で「感じの悪い男」といわれたことを思い出す。そんな瞬間、自分が日本を離れてドイツのこの町に居着くことが人生のはじめから決まっていたような気がしてくる。

なぜ突然、私が運命論者になるかというと、ミュンヘンのビヤガーデンは、(町のパン屋にメロンパンやアンパンこそ売っていないが)、食べ物を持ち込んでいいからである。

「ビヤガーデンは、野外に位置する飲食業の営みで、営業用敷地のかなりの部分に樹木が生い茂り、持参した食べ物を食すること可能であることがその特徴である」(バイエルン州「ビヤガーデン省令」から)

ミュンヘンのビヤガーデンに食べ物を持参してよいのは一九世紀前半以来の習慣で、こうでないのは「ビヤガーデン」の名前に値しないとミュンヘン市民は思っている。

昔ビール・メーカーは醸造所の近くにある建物の地下室にビールを貯蔵した。ビールは低温度で保存する必要があり、冷凍技術が発達していなかった当時では地下室が一番涼しい場所だったからである。

また同じ目的から周囲に栗の木を植えた。栗の木といっても、実は食べられないが、大きくなり、掌状の葉をふさふさとたくさんつけて、暑い夏にも陽光を遮り周囲を涼しくする。

直接販売に努力するビール会社が、栗の木に囲まれた貯蔵所の横に木製の細長い机とベンチを置く。ビールを買いに来た人々が飲めるようするためで、これがミュンヘンのビヤガーデンの誕生といわれる。今でもビヤガーデンといえば、(日本で梅に鶯であるように)栗の木と簡素な細長いの机とベンチで、セルフサービスでビールと食べ物をとりに行く。

商売上手の醸造所はそのうちにビールだけでなく食い物まで出すようになった。こうなるとビール会社直営レストランだ。ミュンヘンの飲食店業界はナワバリを荒らされたことに我慢できず、当時のバイエルン国王ルードビッヒ一世に抗議する。王様のほうはビール・メーカーと飲食店業界という当時の強力なロビー団体に挟まって困る。

妥協案が成立して、このとき以来ミュンヘンではビヤガーデンによそから食べ物を持ち込んでよいことになった。市民はうちでパンやソーセージをバスケットにつめて持っていくので、ビヤガーデンとはピクニック先で家族の憩いの場所である。

私がビヤガーデンへよく行くようになったのは父親になってからで、同じ年頃の子供をもつ家庭といっしょにでかけた。多くのビヤガーデンは砂場や滑り台がついていて子供たちが遊べるようになっている。ビヤガーデンにはブタの腿の丸焼きやソーセージなどだけでなく、炭火で焼いた鯖が売られている。私は、この塩焼きの鯖に醤油をかけて、うちから持って来たごはんといっしょに食べるのが大好きである。

ビヤガーデンの栗の木はフランスでマロニエと呼ばれる。この木は私の頭の中ではシャンソンでなく、童謡のメロディーとむすびつく。それは「大きな栗の木の下で/あなたとわたし/なかよく遊びましょう/大きな栗の木の下で」

私たち家族がビヤガーデンによく行った頃、子供たちが日本の補習校付属保育園「ポッポの会」でこの歌を習っていたからである。ビヤガーデンの大きな栗の木の下で母親と父親がビールを飲み、子供たちは砂場で知らない子供と他流試合で社会性を養う。うまくできていると思いませんか、、、、、

ルードビッヒ一世は、バイエルン観光名所のお城を幾つも残し、映画で有名な狂王・ルードビッヒ二世のおじいさんである。彼は好色で手をつけた女性を宮廷画家に描かせ、また彼の治下、有名な建物がたくさんできた。でも、私には「食べ物持ち込み有り」のミュンヘンのビヤガーデンを残した王様である。

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