「欧州どまんなか」 August  26, 2003
ノイシュヴァンシュタイン城の馬

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乗れないかと一瞬思ったが、子供連れのイタリア人の母親が一番下の子を膝にのせてくれたので私も同乗できる。馭者が号令をかけるが、馬車を引っぱる二頭の馬は気が乗らないようだ。それでも十五人を乗せた馬車は少し動き、馬はあきらめたかのようにお城にむかう坂道を歩きはじめた。

南独最大の観光名所・ノイシュヴァンシュタイン城に、私はまた来てしまったのである。数ヶ月前から友人がミュンヘンに滞在している。その日私は、夏休みで来た彼の奥さんとお嬢さんの観光のお伴をすることにした。

コースは、ミュンヘンからアウトーバーンを南進。西に折れて山道に入りエタール修道院。その後バイエルン国王・ルートヴィヒ二世のリーダーホーフ城。十一年ごとに町民が総出演する受難劇のオーバーアマガウの町。更に西に進みヴィース教会。最後がルートヴィヒ二世のノイシュヴァンシュタイン城で、この後北東に進路をとりミュンヘンに戻る。運転する私は、いつもがんばったという満足感で幸せになる。

ノイシュヴァンシュタイン城に行ったことがある友人は、お城までの坂道は険しいとか、中に入ると面倒なことになるとか、家族が来る前から私に不安を表明していた。

自動車の中から見物するだけで済ますつもりだった三番目の目的地のオーバーアマガウで、お嬢さんがアイスクリームを食べることになり、少し休憩。この結果、馬車に乗ってノイシュヴァンシュタイン城に着いても(友人の密かな願望通りに)、中には入れないことになってしまった。

ノイシュヴァンシュタイン城に観光客を運ぶ馬車に、私は何度も乗ったが、最前列で馭者の横に坐ったのは初体験である。猛暑のために馬が倒れることが心配されたが、道は木陰に入り馬も心なしか元気になったような気がした。私は、間近にみる二頭の馬車馬のお尻に頼もしさと親近感をおぼえる。

馭者によると、7歳から15歳までが馬の働き盛りで、一日にこの坂を十五往復するという。私たちを引っ張っているのは十歳馬と六歳馬で、若いほうが修業中で、今日は四往復で交代するとのこと。また城の近郊に全部で四軒の馬車屋が営業していて、各々20から30頭を所有しているという。馭者は、親方ばかりがもうけるとぼやいた。

私は、自分が若い頃観光見物が好まなかったのを思い出す。はじめてドイツに半年暮らして帰国するときに、ミュンヘンからローマ、パリを経由できるように発行してもらっていた航空券を直接日本に帰るように変更してもらった。これらの町に出かけて、実物を眺めて写真で見た通りであることを確認するのが億劫になったからである。その後、ドイツで暮らすようになってからも長いあいだ名所には足を向けなかった。

確かに名所見物には、オリジナルを見て頭の中のコピーと見比べる空疎さがある。でもこの見解を見直すようになったのは、人生半ば過ぎた頃、新聞記者になった大学時代の同級生と旅行したときからである。当時ヨーロッパの街中で彼がしめす子供のような好奇心に、私は圧倒された。それ以来、私はオリジナルとコピーの順序に固執する自分の偏狭さを少々恥じる。

もの思いにふけるうちに、馬車は目的地に到着。私たちは降りてお城に歩きはじめる。振り返ると脚が短くずんぐりとした体型の二頭の馬が広場に立っていた。私たちが最後の坂にさしかかるとお城が目の前にあらわれる。

山と湖の前に細身の尖塔が並ぶ絵葉書の中のノイヴァンシュタイン城を見ると、私はいつもバービー人形のように手足が細長い女性を連想する。このような体型の女性は美しいとされるが、遠くから見るほうがよく、お近づきになるとありがたみがうすれることが多い。このお城も似ていて、遠目のほうがよい。今回は修理のために一部に幕が張られていて、それが包帯のようにみえた。

ルートヴィヒ二世は即位後間もない1866年の普墺戦争でオーストリア側に立って参戦・敗北。この後バイエルン王国はプロシアの属国同然になる。彼は日本で「狂王」と昔から呼ばれるが、確かに生前の言動は尋常の沙汰ではなかった。

彼の常軌を逸したお城造りで、当時バイエルン王国の財政は差し押さえ寸前まで逼迫する。皮肉なことに、彼が残した三つのお城は、入場料収入から維持費を引いてもバイエルン州に毎年一千百万マルク(邦貨で約7億円)の黒字をもたらす。建設費を考慮すると、これは年利10%のペーパーを購入したに等しいとされる。この試算には、観光客相手のおみやげ物屋、馬車屋、ホテルなどの間接的観光収益は含まれていない。

今回もお城の入り口には日本人をはじめ国際色豊かな観光客が多数見られた。ルートヴィッヒ二世は「低俗な現実」から逃避するために当時こんな高い場所にお城を立てた。彼が生きていてこの光景を見たら、絶望のあまりお城の崖から飛び降りるかもしれない。こう想像すると、私はいつもおかしくなる。

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