「欧州どまんなか」 Oktober 14, 2003

私の「文化ショック」とフリーター

 

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私が若い頃京都でドイツ文化を普及する機関に勤務していた頃のことである。ある日私は、ドイツ人女性の同僚から日本人従業員の仕事内容を項目ごとに分けて、各々の作業にどのくらいの時間がかかっているかを、ドイツの本部に報告しなければいけないといわれた。

文化行事を担当していた私は自分の部屋に戻り「文化行事の準備、宣伝、実施」という三つの項目をタイプし、週労40時間を3で割ろうとしたが、できないので「上記の作業に伴う雑用」という項目をくわえた。これでできあがり。

ところがそうならなかったのである。ドイツ人女性の同僚には、「雑用」という項目が気に食わなかったようで、私は仕事内容を明細化するように要求された。私はまた部屋に戻り自分の仕事の内訳を細分化しながら、言語で表現すると自分のしていることがみすぼらしくなるような気がした。私はやっとこさで8項目まで増やしてまた彼女にみせる。

彼女は、「行事実施の決定」という項目が私の仕事でなく私のドイツ人上司の管轄だと文句をつける。ドイツ本国で企画された催し物に日本人が関心を抱くかどうかは、よく私が判断したので、自分が決めているつもりでいた。例を挙げて説明していると、そのうちに彼女が「(上司が)決定するにさいしての情報の収集と提供」と表現した。その他の項目も彼女のお気に召さない。その後、私は彼女の元へ何度も通うハメになる。

もっと困ったのは、私が項目ごとに労働時間を記入したときである。例えば「上司が行事実施を決定するにさいしての(私の)情報の収集と提供」の項目だが、私が何かいうと彼も同じ見解になるので一週間に直すとせいぜい数分にしかならない。観客席を展望できる舞台の端っこと楽屋を往復し、いいタイミングでコンサート開始の合図をするのも、私の仕事であったが、これだって毎日催し物があるわけでないので、週労時間となると数十秒にしかならなかった。

自分の仕事の明細項目にこうして実働時間を記入して、全部足し算しても8時間ぐらいで週労40時間にならない。私は自分が「月給泥棒」といわれたような屈辱感をおぼえた。その日まで、私は自分がマジメに働き重要な仕事していると漠然と思ってきた。それなのに、、、私の自尊心は打ち砕かれてしまい、抵抗する理屈が浮かばないことが私の屈辱感を更に強めた、、、

ずっと後になってから、あの日に自分が受けた「文化ショック」を思いだして私は笑った。というのは、ドイツの職場では各人の仕事内容が明細化されているのは普通だからである。

日本ではこの数年来、学校卒業後正式に就職しないでアルバイトなどで暮らす若者が「フリーター」と呼ばれる。この現象は日本独特の求人・採用方式と関係がある。 

ドイツの組織では、先に職務、ポジションがあり、それに仕事内容の明細がくっついていて、その仕事ができる人をさがす。だから日本のようにえたいの知れない新卒を大量に採用することなど戦後の景気のよい頃もなかった。現在日本にフリーターが多いのは日本企業もそうしなくなったからである。

次に、ドイツで採用にあたって経験が重視されるので新卒の若者は転職組より不利になる。だから新卒は在学中企業で実習をしたり、アルバイトをしたり、また卒業後もそれを続けたり、また日本でいえば嘱託や契約社員のようなかたちで職業経験を身につける。この状態は日本のフリーターに似ているので、ドイツには昔から「フリーター」だらけである。卒業から正式に就職するまでこの期間は人生に必要な過渡期で、ゲーテの教養小説・マイスターの「遍歴時代」のようなものである。
 
日本の企業が毎年決まった時期に新卒を好んで採用したのは、会社が大家族のように機能する日本の企業文化の反映で、昔結婚相手に初心(うぶ)な女性を望んだように、企業がスレッカラシでない新卒のほうを求めたからであった。

次に日本の企業も営利団体で、「日本の企業文化」を保存する団体でない以上、新卒の大量採用をしなくなったのも当然である。「文化」とは思い込みを自分に言い聞かせるところがあり、生魚を食べない欧米でスシが普及したのと同じ理屈で、一度味を覚えた日本企業も昔のような「全員処女崇拝」に戻らないかもしれない。

私が苛立ちをおぼえるのは、日本のメディアでフリーター批判を読んだときである。特に「正社員」というコトバを眼にすると、私は「正妻」を連想して、フリーターが「妻の座」をめざそうともしないフシダラな女として非難されているように思えてしかたがない、、、、

一年程前、AICでコラムの題名と本文の間にある私の自己紹介欄に「『フリーター』先駆者」と書いてあるの見た友人が、この箇所をけずるように忠告してくれた。彼はこのコトバのイメージが日本で悪いという。私は彼の好意に感謝したが、そうしなかった。こうして今、当時彼に手紙の中で書きそびれた理由を説明できるのは、コラムの便利な点である。

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