「欧州どまんなか」 November  11, 2003
道端でオシッコしている犬

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日本では教養主義がすっかり権威を失い、活字文化も衰えたとよくいわれる、、、、、

1970年代のはじめの頃、私は大学卒業後京都でドイツの文化機関ではたらいていた。そこで私はコンサートや演劇や講演会といった文化行事のオーガナイズを担当した。催しものは、ドイツから派遣された人々のものだけでなく、ドイツ文化と関係があれば日本人だけでおこなわれる行事もあった。

ある時、すぐ近くにある大学を中心とする哲学研究者グループのイニシアチブで「言語」をテーマにした連続講演会があった。それは、私の上司にあたるドイツ人所長とそのグループの代表者が決めた行事で、連続講演会といっても月に二度ぐらいの割で単発の講演があり、ポスター等の行事予告の印刷物にそれらを付け加えるだけのことであった。バレー、コンサート、劇といった手のかかる催し物でなく、私と関係がなかったこともてつだって顔を出さなかった。

ある日、何かの拍子で私は講演会場をのぞいてみる。会場は地味なテーマなのにけっこう人が集り、大学の哲学の先生や哲学に関心を抱く学生だけでなく普通の人も聞きに来ていた。

講演が終って質疑応答に移る。誰か年輩の大学の先生らしき人が質問すると、講演をした倫理学者は頭をかきながら「そのあたりは私のカント理解の深さが足りないところで」とかいって悪びれてみせる。そんなやりとりが何度か繰り返された。

そのうちに前列・左に座っていた一人の若者が早口で質問した。見ると学生時代哲学を専攻した同級生で卒業後大学院に進んだ友人であった。講演者はその友人のほうに視線を一度向けて、また会場の中央に戻した。

友人に対して何か回答、反応があると私は思って待っていたのに、その講演者は知らん顔をしたままである。そしてまた誰か年輩の人が発言すると、それに対しては頭をかきながら何か答えているではないか。

私はこの光景を見て愕然とした。それまでドイツから来た学者や文化人が何度も講演した。けれどもこんな奇妙な場面は一度もなかった。誰がしようとその質問に彼らは絶対答えた。もちろん時間の制約などで答えられないことはあったかもしれない。その場合でも、回答すべきことが当然であるという立場から、質問に答えられなかったことを謝ったり遺憾の意を表明するのが普通であった。

また講演者が理解できない質問があると聞き直し、ときにはもう一度自分のことばで質問を言い換えた。こうして言い換えられた質問が質問者にとって本当に聞きたかったことかどうか、すなわち本当に質問者の真意を正しく理解したかどうかを確かめた。また、回答してからも、質問者に回答が本当に質問の答えになっているかどうかを尋ねることも稀でなかった。というのは、言語によるコミュニケーションは、テーマが難しくなればなるほど厄介だからである。

私がびっくり仰天したのは、このような講演後の質疑応答に慣れていたからである。まるで道端でオシッコしている犬を通りすがりに見るかのように、質問者の大学院学生を眺め、そのまま何ごともなかったような顔をして歩き続ける。この講演者はそんな感じだった。会場に居合わせ、「言語」について講演者の話を聞いていたほかの哲学研究者たちも、この場面を変に思わず、同じように歩き続けたのである。

私がつとめるドイツの文化機関が、講演料を払いポスターをつくり、場所まで提供した、内輪でなく公的場での講演である。質問者の年齢制限の条件はなかったはずだ。講演者には質疑応答も含めて請け負ってもらったのではないのか。あの場で起こったことは公開の原則に反する以上これは契約違反である。

私は、友人が「道端でオシッコしている犬」同然の扱いを受けて憤慨していると思って、その晩慰めに彼の下宿を訪れる。彼はすっかりしょげこんでいた。私が人間と犬の区別もできない倫理学者を批判しはじめると、友人は「自分が出過ぎたことをした」と後悔している。私は彼がまったく憤慨していないことに気がついた。

学生時代色々なことを議論できた友人が私の考えを理解してくれないどころか、そのことを私と話すのがいやであるようだった。一瞬、私は自分が「道端でオシッコをしている犬」になってしまい、その私を、友人が通りすがりに困ったような顔をして眺め、歩みを早め遠ざかって行くような気がした。私はその晩あまり長居せず彼の下宿を後にする、、、、、

私は、後になって「教養」とか「知性」とかいった日本語を聞くたびにこのときの体験を思い出す。友人は勤勉でドイツ哲学の理解を深め一流大学の教授になり、私たちの交友は今でも続いている。でもこのコラムを書きながら、私たちがドイツで会うことがあっても、私が日本で彼を訪問したことが一度もないことに気がつく。

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