「欧州どまんなか」 December  02, 2003
デモするドイツの学生

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この二、三週間、テレビや新聞で、ベルリンやミュンヘン、その他の町で大学生がデモをしている姿が報じられている。分権制のドイツでは、教育主権は州にあるので、学生は各々の大学のある州の文部省に対して抗議している。

何に反対して抗議しているのかというと、州政府の教育予算カットに対してである。ミュンヘンでは約7千人がデモに参加した。これはバイエルン州が来年度予算を10パーセント削減しようとしているからだ。州の政権を担当するのがキリスト教民主同盟であろうが、社民党であろうが、どこの州も財政難で文教予算を削ろうとしているので、大学のあるあらゆる町でデモが行われている。

例えば、ゲッティンゲン大学では日の丸のついたハチマキをした学生が芝生に坐る。拡声器からの掛け声が「一、二、三、四、、、、、、七」まで数えたところで、彼らがいっせいにハラをかききると、あたりに血がほとばしったそうだ。

トマトケチャップの血による奇妙な「セップク」を演出したのはゲッティンゲン大学の日本学科の学生で、予定されている学科閉鎖に抗議してのことである。新聞がこの「血生臭い」抗議についてろくろく報道しないのは、テロ事件の多発で世界全体が血生臭くなったためであるかもしれない。あるいは、ドイツの大学では、日本学科であろうが、別の学科であろうが、閉鎖される話など今や驚くに値しないことだからかもしれない。

閉鎖パターンはいつも似たようなもので、担当教授が停年になった途端その講座も消滅する。今まである研究室に3人教官がいたところ、その誰かが停年になっても新規採用しない。大学では、民間と異なり、相手が公務員で解雇できないから、この「自然消滅」パターンになる。こうして人件費を確実に減らしていこうとしている。

学科の消滅は、停年退職する教官・研究者には老後の生活は年金で保障されているが、そこで勉強している学生にとっては困ることである。ゲッティンゲン大学の日本学閉鎖のニュースを聞いたベルリン・フンボルト大学で日本学を勉強する学生は「自分たちのほうも閉鎖が遠い将来の話ではない」とコメントしていた。

ベルリンは、大学だけでなくオペラも劇も音楽も東西の統一以来すべてダブる状態になってしまった。この学生によると、東ベルリン・フンボルト大学の日本学は、西側にも同じものがあるからと、縮小される運命にあるという。ところが、西ベルリンのほうの大学は、教官が長年休暇で不在であったり、停年直前であったりする。毎学期、百人ぐらいの学生が、東西ベルリンのそれぞれの大学で日本学を専攻するそうだが、彼らも結局ほったらかされたままにあり、このベルリンの学生はこの状況を嘆く。

教員からほったらかしにされているという不満は、ドイツの学生から、特に日本に留学経験のある学生からよく聞く。日本の大学進学率は50%近くの高い水準にあるが、同時に教えるための巨大なキャパシティーを持っていて、学生をおろそかにしないでいる。反対にドイツでは、大学の進学率が36%ぐらいまで上昇したが、この間、教員の数も施設のキャパもあまり拡充できなかった。

日本の大学関係者にとっては、少子化で学生の数が減り、入学定員を割るることこそ悪夢である。ドイツの大学にこの悩みがないのは、以前から人文系の学科では学生数が多過ぎて、大入り満員の状態が続いているからだ。現在予告されている教育予算のカットでこの状態はさらに先鋭化すると予想される。

ドイツで日本の大学のようなキャパシティーの拡大が不可能であったのは、ドイツの親が自分の娘や息子の高等教育にお金を出さないためある。

先進国では日本でもドイツでも「大学改革」が論じられる。日本の高等教育のオーバーキャパシティーはドイツには存在しない。もしかしたらどこの先進国にも存在しない日本独特の問題かもしれない。日本の親がこれほど高等教育にお金を出したのは、日本の大学がトコロテン式に卒業できたからである。こうして拡大したキャパシティーが縮小するのが、今から日本の大学で起こることである。

日本とドイツの大学では、相違点と共通点は少なくない。日独ともに強調しているのは、科学技術教育振興である。現在のドイツでの教育予算削減の対象は文科系である。削減で浮いた予算の大部分は工学関係、それも先端技術の分野にまわされる。ドイツ使用者連盟といった経済関係者もエンジニアの不足を訴える。でも彼ががこういうのは、四十歳近くになって給料が高くなったエンジニアが解雇されている現状を故意に無視しているとしか思えない。社会は本当にそんなたくさんの技術者を必要としするのであろうか。

こう思うのは自分が文科系だからである。そう自分に言い聞かせているが、私の懐疑は強い。

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