「欧州どまんなか」 December  09, 2003
人はなぜ暴力をふるうのか

バックナンバー目次に戻る


もうかなり前から大学時代の同級生と本の交換をしている。私が書いたもの読んで日本についての私の無知を心配する彼が本を送ってくれたのがはじまりで、彼は自分が読んだ本を送ってくれようになった。本に鉛筆で線が引っぱってあったり書き込んであったりしていて、面白い。彼はドイツ語がよく読めるので、私も自分が読んだ本をときどき送る。

少し前、彼から送られた紙袋を開けると本が出て来た。題名は「人はなぜ暴力をふるうのか」で、梓出版社とある。人をぶん殴るのが面倒で怒鳴る。そのうちにそれなしで済ますようになり一見無暴力状態の秩序が生まれる。そう考えないで、無暴力状態から出発し、暴力の行使をその逸脱と驚き、あるいは驚いた顔をしてみせるこの題名が、私には日本的に思われた。

ところが、目次を眺めると話が少々別で、フロイト、ジラール、アーレント、サド、エーリッヒ・フロムといった懐かしい名前が出てくる。数人の研究者が書いた論文集で、私は読まずに頁を繰りはじめる。友人が線を引いたり、しるしをつけたりしてある頁が、どうして自動的に開かれてしまう。

「キリスト教と暴力」とあり、米国の話だ。「政治的にユダヤ教と統合化し、実に九〇%近いアメリカ人が同じ神を信じる国家となり、国教化と選民思想ができあがった、、、」と書いてある。ネオコンと関連して自分が書いたことが私に思い出された。このテーマに関心を抱き、本当に聖書と突き合わせて問題にする人がいることが私にはうれしくなる。

頁を繰っていくと、「家の人そして友達へ、突然姿を消して申し訳ありません。くわしい事については○○とか××とかにきけばわかると思う。俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ。ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃいみないじゃないか。だからもう君達もバカな事をするのはやめてくれ最後のお願いだ」という一節が目に飛び込む。これは、いじめのために自殺した日本の男の子の遺書で、私はたまらない気持ちになり、この論文を本格的に読みはじめる。

自殺の三ヶ月前に教室で「葬式ごっこ」があった。いじめ・グループがイニシアチブをとり、少年が死んだかのように、彼の机を黒板の前に置き「安らかに眠ってください」と記し、葬式を演出する。この論文の著者が注目するのは、教室に入ってきた少年がこの光景を見て怒らずに「なんだ、これー」とか、「オレが来たら、こんなの飾ってやんのー」と笑うなど、他人事のように反応する点である。

著者によるとこの「葬式ごっこ」は(教師を含めて)その場にいるすべての人々が参加する「遊戯・フィクション・擬制」で、それに反対したり告発したりすることは、「フィクションでなく現実であると主張すること」になり、下手するとこの少年の死を望んでいると思われかねない。また少年も「自分を、、、客観的なものとして見放す態度をとる」しかない。

この他人事のような態度、切迫感のなさ、怒りの希薄さは論文で扱われる二人目の少年にも強い。この鋭い分析から導入される「擬制」とか「関係」とかいった概念で、確かに「いじめ」が、(著者が密かに誇るように)ハンナ・アーレントの「暴力論」などよりうまく説明されるように、私に思われた。

そう思いながらも、私は正直なところ、自分が困ってくるのに気がつく。日本の「いじめ」参加者もこの著者と同じでなくても、どこか似たメガネで事態を見ている。そのために「行為者」とか「主体者」、すなわち加害者がはっきりしない日本の「いじめ」が成立してしまうのではないのだろうか。つまり事件の見方が事件と無関係でなく、その重要な構成要素になる。

いじめはドイツにもあり、自殺する子供の五人に一人はこれを経験したといわれる。年々その件数が増大傾向にあり、現象面で日本と類似点が多い。今や先進国の間で文化的区別がどんどんなくなり、自殺したドイツの子供の遺書にも「自分のことを他人事のように扱う」態度が見つけられるかもしれない。

またドイツでも現実のいじめでグループ全体が加害者であることが指摘されるが、とはいっても無理にでも「加害者」をつくる傾向が強い。またここから出発して協力者や「見て見ぬふりをした」傍観者など、灰色の共犯者をいろいろ区別する。加害者をなくさないこの見方がドイツの「いじめ」参加者に共有され、事件の展開に影響を及ぼす。日本より被害者意識が遺書の中で強く表現されると私が思うのは、このためでる。

日本で「いじめ」となる子供の世界に限定されるきらいがある。ドイツをはじめ欧米諸国では、(動物の行動だけでなく)職場のいじめ・嫌がらせに対して用いられる「モビング」という単語が子供の「いじめ」にも使われる。職場のモビングが裁判になり、子供の行動が特別視されず大人の行動と同じ次元で見られる結果、子供の世界でも「加害者」が重視される。

読んでも題名以上のことが頭に残らない本が多いが、この「人はなぜ暴力をふるうのか」は、全部読んでいないのに、私にいろいろなことを考えさせた。

バックナンバー目次に戻る