「欧州どまんなか」 November 07, 2001                                  目次に戻る
アジア人女性と結婚するドイツ人

 

少し前、近くに住む知り合いの夫婦が私たちを食事によんでくれた。「タイのおばさんが来ている」とのことであった。私達は、2、3年前から子供の学校が同じになったことも手伝って、行き来するようになった。

でも、なぜ「タイのおばさん」がいるのだろうか。彼らにタイ人の血が流れているように見えない。私は一瞬そう思った。その晩、実際にクサマさんという名前の魅力的で若いタイの女性を見て私はもっと驚く。食事がはじまる。話しているうちに、招待してくれた夫婦のご主人のほうにユルゲンさんというおじさんがいて、「タイのおばさん」は、このおじさんと結婚していたことがわかる。

クサマさんは23歳のときバンコクを訪れた30歳も年上のユルゲンおじさんと知りあった。2人は相思相愛の仲になり、結婚する。2年前に夫が亡くなるまで、彼女は北ドイツの町で16年間も連れ添った。今は、彼女はタイで暮らしていて、今回ドイツを訪れ、また戻るとのことであった。

その晩、食事をしワインを飲みながら話がはずむ。クサマさんは、タイでの今の暮らしや、また彼女がドイツにいた頃のことも懐かしそうに語った。彼女の飾り気のない話し方に私は好感を覚える。そのうちに、彼女が自分の夫を話題にするとき必ず「私の夫が、、」という言い方をするのに私は気がつく。ちょうど一昔前の日本の女性が「主人が、、」というような感じで、ドイツ人の女性なら「ユルゲン」と夫の名前で済ますのに、と私は思った、、、

アジア人女性と結婚するドイツ人男性は決して少なくない。ユルゲンおじさんとクサマさんは偶然知りあった。でも「幸せなる結婚」を偶然にゆだねずに、国際結婚を斡旋する業界があって、けっこう繁盛しているといわれる。この数年来、旧東欧圏の女性と結婚するドイツ人男性が急増しているが、タイやフィリピンといったアジア人女性とのお見合いを希望する男性は相変わらず多いのである。

斡旋が金持ちの先進国の男性と貧しい国の女性というパターンをとる。そのためにドイツのフェミニストにセックス・ツーリズムの逆流と見なされ、指弾されることが多い。でも、この業界の人が私に一度こぼしたように、それに近いことをする業者がいても、斡旋されて幸せに暮らす夫婦もたくさんいる。

ある斡旋所のパンフレットに「未来に可能性のない彼女たち(=アジア人女性)はヨーロッパのあなたのもとに移住したいのです」とあるように、現象が外国人労働者流入問題と重なる。彼女たちは、ごく自然に結婚を先進国に「永久就職」することと見ているのではないのか。この結婚観は、日本人にはわかりやすいが、結婚の前に恋愛が来るべきと杓子定規に考えるドイツ人の結婚観に反する。この事情も、斡旋によって結婚した女性に対する彼らの偏見を強める。

次に、なぜアジア人女性の人気が高いのだろうか。その種の斡旋所のパンフレットを読むと、彼女たちが夫に従順でやさしく、家庭的で、家事・育児が大好き、「夫の収入が低くても気にしない」とかいった文句によく出会う。すなわち「アジア人女性はドイツ人女性に欠けた性質をすべてもっています」で、彼女たちが自国女性の正反対であるとドイツ社会が考え、そうあって欲しいと期待するドイツ人男性がいることになる。

この身勝手なアジア女性観は、ヨーロッパ社会で19世紀後半からひろまったアジア観と無関係ではない。当時ヨーロッパ人は、広いアジアに色々な民族や文化あるのを無視して、まず「アジア」と一束にして、次にこの「アジア」を自分達の社会とはまったく正反対のものと見ようとした。その結果、自分たちの社会に失われたものを彼らの「アジア」に見つけたと勘違いすることもよくあった。このアジア観が21世紀の今も踏襲され、彼らはアジア人女性を自国女性と正反対と考えているのではないのだろうか。

ドイツ人と結婚している日本人女性と話していると、ときどき「自分は夫に日本人の妻として特別のメリットをあたえている」とか、「このメリットはドイツ人女性があたえることができない」とかいった意識を強く抱いておられるのに気がつくことがある。これも、ドイツ社会にある「アジア人女性観」の反映なのではないのか。具体的にきくと、かえってくる答えは国際結婚斡旋所のパンフレットの文句と変わらない。

このような女性と話すと、私は関西弁で「しんどいやろうな」と思って、同情する。というのは、このような意識は、(私のように)ドイツ人と結婚している日本の男にあまりないからである。日本人の夫として妻に特別なメリットをあたえろ、といわれても、何をしていいか私にはわからない。その点、ドイツ社会から期待されていない日本の男性は気楽である。

社会にある価値観や偏見からまったく自由であることはできないが、夫婦は、それとどこかで折り合って幸せに暮らしたり、うまく行かず不幸せになったりする。クサマさんのタイ訛りのある「私の夫」というドイツ語を聞きながら、彼女がユルゲンおじさんとけっこう幸せだったような気がした。