「欧州どまんなか」 July 18, 2001                                         目次に戻る
ブランカちゃんと「我が闘争」

 

ブランカちゃんの長く伸びた脚は美しい。私は彼女ほど息の合うパートナーを知らない。彼女が先にいきそうになると私を待っていてくれるし、私が先行すると今度は追いつこうとする。楽しい一時を過ごした後、立ち去る私を見送る彼女のつぶらな茶色の眼にはいつも愁いの影がよぎる。

ブランカちゃんは情事の相手でなく、私が毎日ジョギングに連れて行く近所の犬である。数日前から森の中で、たくさんのオス犬が私達を追いまわす。それはブランカちゃんが発情期にあるからだ。彼女が血統書つきの狩猟犬であり、今まで一度も間違いが起こらなかったと飼い主から聞いているので、私には本当に気をつかう毎日である。

今日もこんなことがあった。背の伸び過ぎたブルドッグに似た不気味な犬が私達の後をつける。どなっても、蹴るまねをしても、この犬はあきらめない。この犬と間違いが起こったら、ブランカちゃんの飼い主に、私はどのようにお詫びしたらいいのだろうか。

生まれてくる子犬を想像すると、私自身生理的嫌悪感を覚えた。思わず地面に落ちている木の棒をひろい、この犬に向かって振りまわした。私の剣幕に押されて犬はひるむが、逃げ方が少ない。私は棒を振りまわして更に迫る。

突然私の名前を呼ぶ声がする。見ると、美しい少女が立っているではないか。彼女は大きくなって一瞬誰かわからなかったが、娘の同級生で、ちいさい頃我が家によく遊びに来た。私が棒で脅かしたのは彼女の家の犬だったのである。

私は平静を装って彼女に事情を説明し、彼女も自分の犬を鎖につないでくれた。でも正直なところ、本当に恥ずかしく気まずかった。また私は複雑な気持であった、、、、、

少し前ヒットラーの「我が闘争」を読み返す機会があった。私が森の中で複雑な気持になったのは、この本と無関係でない。

周知のように、著者は民族のあいだに優劣をつけるが、それだけではない。彼は、人類が純血種の民族だけから構成されるべきであると考えている。これが彼の人類の定義でもある。

ユダヤ人を特に憎悪したのは、この民族が定住せず、「他民族に寄生し、内側から宿主の人種を破壊し」、自身も「雑種」で、世界中を雑種化する「反人種」的存在と、彼が見なしたからである。だから彼は、ユダヤ民族と、また同じように定住しない「ジプシー」の抹殺を実行した。

それでは、犬の世界でも純血種が消えて「雑種」ばかりの事態が来ることになれば、私達はどう反応するであろうか。かなり前、インターネットで日本の新聞を読んでいると次のような記事が私の眼にとまった。

<和歌山県海南市と和歌山市との市境付近でニホンザルとタイワンザルとの混血ザルが見つかったことに関して、日本霊長類学会は18日、同県に対し、タイワンザルや混血ザルを捕獲して安楽死させることを求める要望書を提出した。要望書は「タイワンザルとニホンザルとの雑種化は、数十万年かけて確立した日本の固有種ニホンザルの存続を脅かす」としたうえで「捕獲に速やかに着手することを要望する」としている。>

この要望書で「ニホンザル」を「ドイツ民族」に、「タイワンザル」を「ユダヤ人」に置き換えたら「我が闘争」の一節に似て来ないことはない。ヨーロッパで読めばこの連想は避けられない。日本人としてこの記事を読みかえすと、要望書は「古都の美観保存」アピールとあまり変わらない。不思議である。

この読まれ方の相異は、議論の「土俵」の違いからくる。ヨーロッパの「土俵」は、本人には自明過ぎて見えないが、今でも「人間を神に似た存在」とする考えである。だから、正直いって日本人にピンとこない「人間の尊厳」という言葉が力をもち、また人間を他の存在と分ける境界線が強固で太い。そのために、人間が生殖から誕生までのどこで始まるかという人間定義の議論が、日本より遥かに多数の人々の感情を動かす。

一見この事情と矛盾する欧米人の過激な動物愛護は、この境界線と人間の優位を前提した上で、特別な関係にある動物をひいきすることである。ひいきの動物を捕獲して食べる国民を、彼らが「人類の敵」のように扱うのも、このことと無関係でない。上記の霊長類学会要望書もこちらで出れば物議をかもす。

このヨーロッパ的「土俵」の上で、「我が闘争」の著者は人類の定義を狭くした。昔ハンナ・アーレントが、「ユダヤ民族絶滅」の実行は「人類の多様性に対する攻撃」で、ニュールンベルク裁判の「人道に対する罪」は不明瞭な表現であると憤慨したことがある。これも、彼女が人類の定義という議論の「土俵」が自明でなくなる体験をしたユダヤ人だったからである。

ドイツ人の女性と二児をもうけた私には、人類の狭い定義が通らなかったのは、もちろん喜ぶべきことである。