「欧州どまんなか」 September 05, 2001                     目次に戻る
デフレ、インフレ

 

少し前、私は金融関係者が集まるパーティーにでかけた。私が日本人ということもあってか、日本の「デフレ」ばかりが話題にのぼる。日本経済がデフレ状況にあることは、文科系出身で数字に弱い私にも理解できる。でもデフレが日本の専売特許にされるのに、私は気を悪くした。

日本だけでなく、どこの「先進国」の住民も何十年もの間物価がゆるやかに上昇し、この緩やかなインフレ以上に賃金が上昇することに慣れきって、それ以外の状況を考えることができなくなってしまっているのではないのだろうか。

過去二十年ぐらい、誰もが時々原材料や農産物の値下がりのニュースを新聞の片隅で読んだはずである。私たちはせいぜい「小売価格に反映しない」と怒るだけですぐ忘れた。でもその時、アフリカや南米でコーヒー豆を手で収穫していた人々にとって、この原材料の値下がりは「デフレスパイラル」であり、窮乏をもたらしたのである。

流通を川の流れにたとえれば、原材料は上流に、加工は下流に位置する。下流にある先進国の国内でも、より上流側の生産者や卸の価格を長期的に見ると下降傾向にある。上流の物価の下降は世界経済全体の大きな変化の反映で、結局川下の私たちに流れて来たのではないのだろうか。

日本では「デフレ」など死語に等しかったとき、ヨーロッパでは、このような事情から、1980年代後半からチラホラと、90年代に入って供給過剰の度合が強まり、高齢少子化社会に移ることもあって、頻繁にささやかれていた。また瞬時の価格比較を可能にするインターネットの登場で、この傾向に拍車がかかった。

過去二十年、ヨーロッパは慢性的大量失業と財政赤字を抱え、経済の収縮に慣れていて、「ヨーロッパ病」患者が無理をしないで生きているようなところがあった。

話をしながら、あらためてヨーロッパ人には日本で起こることが理解しにくいという印象をもった。日本は島国で、どこか孤立していて、多くの現象が日本国内だけのことにとどまるからではないのか。

例えば「ゼロ金利」であるが、ヨーロッパのどこかの国がそんなことをすれば、その国民は金利の高い隣国の通貨に換えて預金しようとする。その結果自国通貨は外に流れ下落し、輸入価格が上昇することで、自然に物価全体を押し上げ、デフレがおさまる。

日本で「住専問題」が騒がれていた頃、日銀がゼロの近くまで公定歩合を下げた。このことで「日本の巨大銀行がもうけて、焦げつき債権を償却し、不死鳥のように蘇る」ことを警告するドイツの学者の論文を私は当時読んだことがある。なぜそうならなかったのであろうか。今でも私には不思議である。

ヨーロッパ人の発想通りにならないのは、日本が島国であるためだけでなく、国民性の反映かもしれない。「安物」が今日本でブームかもしれないが、世界で生産される高級ブランド奢侈品の半分が日本で売れているといわれる。これも、この国民性と無関係ではない。

もしかしたら、他人と交換するときの目安になる抽象的な貨幣に対して、(私も含めて)日本人の意識の根底に不信感があるのかもしれない。「バブル」のとき日本人が買ったものは、交換を前提とした市場価値と無関係で、どこか「私にとっての価値」を象徴するものであった。象徴するものは「モノ」であり、抽象的でない。

次に、経済の入門書にあるようにデフレとインフレはコインの裏表で、表のインフレの通貨量膨張を裏返すと通貨量収縮のデフレになる。とすると、今のデフレはその前にインフレがあったためということになる。お堅いドイツ人も当時羨望した「日本のバブル」は、世界全体がデフレ気味の供給過剰で、(土地や株以外の)物価は高騰せずに、インフレとして意識されなかっただけになる。

こうしてインフレの後にデフレが来た以上、また地続きのヨーロッパのような「悪い」行動を日本国民がとらないので、焦げつき債権を断念することで通貨量を減らすしかない。こうなると財政赤字が更に増大し結局円安になる。預金者と納税者の多くは一人二役で、どちらの役で取られても大差ない。

ベルリンの壁が開いてしばらくした頃も、私は金融関係者と話した。あの時も、彼らは東独国民の巨大な預金量に色めきだっていた。この預金は東独国家の借金でもあった。東独国民はコール首相(当時)に投票し、東西マルク・レートを1対1にさせ、最終的には西独納税者にツケをまわした。トランプのババ抜きで、彼らは西独国民に見事にババを抜かせたのである。

私たちはマジメな国民で、円高の間に知らん顔をしてよその国にババをつかまさせることはしないようである。

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