「欧州どまんなか」 April 04, 2001                                       目次に戻る
ミヒャエル・エンデと喘息と日本経済

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私はミヒャエル・エンデさんに一度だけ会った。1980年代の前半だったと思う。日本の新聞社のW記者がインタビューするために私を通訳として雇ってくれた。私はエンデさんの名前を知っていたが、作品を読んだことはなかった。通訳で無数の無名人・有名人に会ったが、後から仕事の細部を思い出すことなどあまりない。その点、娼婦の仕事に似ている。ところが、エンデさんは何年もたってから思い出し、また忘れ、数年後また記憶が蘇る、、、

私達はタクシーでミュンヘンの町はずれの殺風景な新興団地に到着した。少し迷った後、探している番号の棟が見つかる。入口には住人の名前のブザーが並び、訪問先を押すようになっていた。これしかないと、私は「M・M」を勢いよく押した。

W記者はよくご存知のようであったが、私はエンデさんを見るのがはじめてであった。誠実そうで、この人なら「中古車を買っても損はしない」という感じがした。話はそれるが、シュレーダー現ドイツ首相を支持する人の多くは、彼からは「中古車を買いたい」と思わないそうである。

靴を脱いで通された住居には白いふわふわとした絨毯が敷いてあり、座布団が高くなったような台座と低いテーブルがあった。私は絨毯にあぐらをかき、メモ用ノートと鉛筆を台座の上に置いて机代わりにした。仕事なのに日本のようにくつろいで座れて、私は得したような気がした。

それから二、三年して私はエンデさんを思い出すが、それはこの「白いふわふわした絨毯」のためである。ある日「小児喘息のコドモをもつ母親のためのセミナ」に私は出席した。当時長男が喘息で、我が夫婦は困っていたからである。講師の一人が色々な絨毯の切れ端を並べて、これが一番喘息を引き起こすと警告したのがエンデさんの絨毯とそっくりであった。一日中「喘息撲滅」の話を聞いて神経が疲れていた私はエンデさんに手紙を書いてこのことを教えてあげようと一瞬思った。

W記者のインタビューに戻るが、最初の質問で、私が「モモ」も読んでいないことがばれてしまう。質問のなかに「時間泥棒の灰色の男達」という表現があった。悲しいかな、私はドイツ語に直訳する。エンデさんは私のほうを向いて笑いながら「作品のなかのドイツ語は『灰色の男達』でなく、『灰色の紳士』で、、」と訂正してから、質問に答えはじめた。

その言い方に、私のような三流通訳の誇りを傷つけない配慮が感じられた。「エンデさん、今度閑と金ができたら『モモ』を買って読みまーす」。私はそう思った。出来の悪い生徒が好きな先生に説教されて、明日から勉強しようと決心するのに似ている。不勉強の私はその後十年以上もたってから「モモ」を読んだ。教育効果とは、かほど息の長い話である。

インタビューの前半は、「先進国の繁栄は、私達が自然と第三世界を収奪することで実現している」という文章だけが記憶に残っている。内容はドイツ「緑の党」から散々聞かされた「成長経済批判」であった。誰もが言うことや、また「犬が西向きゃ尾は東」式のあたりまえのことばかりを日本人とドイツ人が話してくれれば、通訳稼業は楽である。

困ったことに、そのうちにエンデさんは変なことを言い出す。
「私は今の貨幣の在り方に基づく経済体制に反対です、、、西暦元年から二千年間労働しても金の延べ棒一本分の価値しか生まれません。それなのに、、、」
一マルクを二千年前に複利五%で預金したとすると、現在の価値は太陽のような巨大な金の塊に相当すると、エンデさんは「有利子経済」を批判する。

こちらでは労働組合がドイツ連銀の高い公定歩合を批判するが、私は一瞬、エンデさんも同じ文句をつけると思った。ところが、そんな俗な話にならない。我が人生一度も聞いたことのない話が聞こえて来た。「犬が西向きゃ」と来ても「尾は東に」ならないのである。悪戦苦闘がはじまり、私は神経を集中して理解に努める。話は理屈に合っているように思われた。

それから十年余りして、私はまたエンデさんのことを思い出した。というのは、日本がほぼ「ゼロ金利」になって、彼が理想とした「無利子経済」が実現したからである。

あの時、エンデさんは貨幣を「身体のなかを循環する血液」に喩え、利子のために血液が一箇所に停滞してはいけないといった。忘れていたことが色々思い出される。また「貨幣は自然な血液にとどまるべきだ」と強調した。日本経済はドーピングするように造血剤をのみ続け、必要もない今もそれを続けている。それとも、、、文科系で経済がわからない私はエンデさんのコトバで色々思案する、、、

あの日、インタビューが終えたW記者と私はエンデさんに焼酎をごちそうになる。仕事が終ってうれしい私ははしゃいで二度もお代わりをいただいた。

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