「欧州どまんなか」 April 18,2001                            目次に戻る            
罪の文化が違う

 

「気をつけて」と警告を繰返す声がした。見ると、大柄の女店員が品物を積んだ車を押しながらK子さんに迫ってくる。「気をつけて」のドイツ語が当時の彼女の耳には「どけ、どけ!」に聞こえた。日本のデパートだったら店員が「すみません」と謝りながら通るのに、、、、K子さんは車をぶつけられないように身をよけた。

スーパーのレジでお金を払ってレシートを見るとバターを一つしか買っていないのに二つ分ついている。K子さんはレシートの数字と買物用バッグのなかを示し、習いたてのドイツ語で間違いを指摘した。レジの女性は黙ったままバター代金を突っ返した。

「なぜこの国の人々は謝ることができないのであろうか」
とK子さんは思った。当時、日本で知り合って結婚したご主人が本社勤務になって、K子さんはドイツで暮らしはじめた。二十年近くも前のことである。

K子さんから見るとドイツ人には重要な神経が欠けている。客と同僚を区別できない店員が、どけといわんばかりに職場を闊歩するのも、レジで打ち間違いから余計に請求して平気なのも、その証拠である。

彼らは、バスが揺れて身体がぶつかり、自分に責任がないときには大仰に謝罪する。ところが肝心なときには謝らない。自分の間違いもせいぜい遺憾に思ったり、残念がったりするだけである。この謝らない点に彼らの無神経と不誠実が凝縮している。このようにK子さんに思われた。

当時K子さんは自分がドイツに向いていないと思った。外に出ると人々が自分をジロジロ見るような気がし、彼女はだんだんひきこもるようになった。ご主人は色々心配した。でも彼は文化の違いを強調し、K子さんの気持を理解できないように思われた。例えば……。

「謝るとは、相手が怒りはじめる前に、頭を下げたりして自分をわざと屈辱的な立場に置く。それを見ると相手の怒りがおさまり、動物の世界にもあることだ。ドイツ人は日本人ほど謝らないが、私達が相手を怒らせることを怖れていないからだ。レジで、K子は英語でいいから大声で怒ってもよかった」

そのうちに、K子さんは自分の夫も謝ったことがないことに気がついた。レジでどなることなど私にはできない、そんなことを妻に強いる自分の国のことを夫は謝るべきだと彼女は一瞬思った。彼女はカッとして何か怒鳴った。今でも彼女が憶えているのは、「あなただけには謝ってほしい」と大声で自分が叫んだことである。

次は、三十年以上もドイツで暮らす日本人の建築家Bさんの話しである。彼は昔北ドイツの町で妻と子供を自動車事故で一度に失った。国道でスピードを出し過ぎたオートバイがセンターラインを超え、Bさんの奥さんが避けようとしたのが事故の原因である。

二歳半のお嬢さんは即死。奥さんは病院で意識を取り戻すことなく数日後に亡くなられた。奥さんに付き添っていたある日、集中治療室から出て来たBさんに、腕にギプスをし包帯だらけの男が近寄ってきた。

Bさんには見ただけで、男が誰だかわかったという。事故を引き起こしたオートバイの運転者は骨を折っただけであった。身内の不幸で魂の抜け殻同然のBさんは男が話すことに注意を集中することができなかった。

「でも、彼は謝ったのではない」とその後再婚されて平穏に暮らすBさんは昔の事件を思い出しながら私に強調し、「もし彼に謝られたら変な気がした」と付け加えた。

事故を引き起こした男は、バスのなかでBさんの足を踏んだのであれば謝る。足はBさんの一部で、Bさんはゆるすことができる。ところが、事故で失われたのは、Bさんのお嬢さんや奥さんの命で、人生であった。これはBさんと別に存在し、Bさんがゆるしたり、あるいはゆるさなかったりするものではない。つまりBさんの権限外のことで、だから彼は謝らなかった。私達はこのように理解することもできる。

彼は当時集中治療室の前でBさんの不幸せに同情の気持を示したのだ。これは、謝らないで遺憾を表明しただけで、K子さんが怒った点である。いずれにしろ謝罪に関して文化の違いは大きい。

それでは、K子さんがその後どうしたかというと、離婚せず、ドイツで暮らし続けた。母親となった彼女が「ゴメンナサイといいなさい」といって、しつけに励んだことはいうまでもない。彼女のご主人も「けっこう素直に謝る」ドイツ人になったそうである。

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