「欧州どまんなか」 May 16, 2001                                      目次に戻る
ライラックの花が咲く頃

 

自分は日本で生活していた頃のほうが季節の移り変わりに敏感で風流を解した。こう思って残念になることがある。

ドイツで今冬だとかまた夏になったとかは私も感じる。でも京都で紅葉を見て松茸ごはんを食べ秋の深まりを感じていた頃と比べ、自分がどこか自然から遮断されている気持を否めない。この気持は森のなかを散歩していて、私の眼の前を野兎が走ろうと変わらない。

なぜ自分はそうなのだろうか。もちろん色々な理由をあげることができる。でも私にとって一番の理由はこの国の恒常的な天候不順である。

日本の新聞をインターネットで読んでいて今年も「サクラ前線」とか「七分咲き」とかいうコトバを眼にした。それから間もない頃ドイツでもサクラの花が咲きはじめる。

近くにお住まいの日本人がススキのようにひょろひょろした三本のサクラの木を庭に植えておられ、我が家を今年もお花見に招待してくれた。楽しみにしていたところで、雨が連日降り花見は中止になる。

そのうちに雨が雪に変わり、あたり一面が銀世界で冬に逆戻りした。この国ではこんなことなど誰も気にしない。ある年などサクラが満開になったところで気温が低くなり寒い日が続いた。花は長い間散ることもできず咲きっぱなしであった。

日本でサクラの花が咲いたままで散ることができなかったらどうなるであろうか。花見の習慣が生まれたかも疑問だし、「葉桜」とことさら意識することもなかったと思われる。

日本では少し早くなったり遅れたりするかもしれないが、季節の移り変わりは脚本通りに進行する。ドイツにも大風が吹くが、夏の終わりに来る台風と異なり「忘れた頃に」やってくる。

日本では季節の移り変わりがほぼ省略されずに順番通り毎年繰り返される。この確信があるために、私たちは細部の変化に関心を抱き敏感になるのではないのだろうか。

日本の新聞には季節の移り変わりについての記事がむやみと多い。次に日本で新しい政治家が出て来てもしばらくすると「季節はずれ」のように扱われる。また流行に敏感な人が特に多いように思われる。

こうであるのも、同じことが繰りかえされる確信があり、だからこそ変化に敏感な私達のこの傾向と無関係でない。

ドイツも五月になると色々な花がいっせいに咲く。確かに美しいので昔からドイツの詩人は大騒ぎをする。でも日本人の私には売れ残り商品を店先にいっせいに並べられたようで風情が乏しい。

私は京都でなくドイツに暮らしている。文句をいってはいけない。一つの花に注目すればよい。こう考えて私が気にかけるようになった花はライラックである。この小振りの木はどこにでも生え、五月中頃に白か薄紫の小さな花を咲かせる。

十年近く前、私は第二次世界大戦終了時に書かれたドイツ人の日記のたぐいを大量に読んだことがある。そのときこの花と縁ができてしまった。というのは、この地味な花が敗戦国民の注意をよく引くように思われたからである。例えば……

「4月30日‐爆撃を受けて4階のBさん地下に引越し。ソ連兵来る。夜強姦。母も。私はされない。大多数が5回から20回も。
5月1日‐ソ連兵が出たり入ったりする。時計は全部なくなる。中庭にほうり出された私たちのマットレスの上で馬が休む。地下室の鍵が壊された。
5月2日‐はじめての静かな夜。地獄から天国に来た気持ち。中庭にライラックの花が咲いているのに気がついて泣いた」

これはべルリンに住んでいた少女の日記の一節である。大都市のアパートは道路に面していて、四方をアパートに囲まれるようにして中庭がある。馬が出てくるが、それは当時のソ連軍は機動化率が低く戦争に必要なものを荷車に乗せて馬に引かせて移動したからである。

ベルリン陥落時多くの女性がソ連兵によって強姦されたことは昔から公然の秘密であった。数年前女性歴史家が病院に残る妊娠した被害者のカルテから140万の女性市民のうち約11万人が被害に遭ったと推計した。ちなみに、この町の攻撃に加わったソ連兵士は約45万人とされている。

その年、ライラックの咲くのがいつもより二週間は早かった。これは連日零下二0度まで下がる厳冬の後、良くあることであるが、好天気が続く春が訪れて早く咲いたのだと思われる。

我が家の門の横にあるライラックの花はもう少しで満開する。