「欧州どまんなか」 April 18,2001                                         目次に戻る
ドイツ女性は面食いでない?

 

私はドイツに来て二十年以上もたつ。そのせいか、この国に何か特別に好きなことがあって日本に帰らないのだと思われることが多い。そう思う人々のために、かなり昔から私は次のような返事を用意している。

「ドイツの女性は男性に対してあんまり面食いでないし、外観も、年齢も気にしないみたいですよ。それが価値の多様性の尊重で、、、、」

私が真面目な顔でこういうと多くの日本人は今一度私を眺め、意味ありげに笑い、私がドイツに暮らしていることに納得できたという顔をする。話相手が中年男性なら、日本社会での「オジン受難史」を語りはじめる人もいる。

でも、私達男性は自身の面食いを棚にあげてとんでもない妄想を抱くようだ。私は本当に「ドイツの女性は面食いでない」などと思っているのだろうか。これは私の願望に過ぎないと思うときがある。このはっきりしない事情について今から書く。

私が子供の頃は石原裕次郎の全盛時代であった。彼は外国人のように背が高く脚が長く日本人離れしたスターであった。彼の強さこそ本物で、本場西部劇のカウボーイと喧嘩しても勝てると思われた。私達は彼に憧れ、当時の遠足の写真は、脚が長く見えるように高いところに立って下から撮ってもらったものが多いと思う。

姉達が知り合いの男性の外見を情容赦無く評議するのを耳にしながら思春期を過ごし、期待に反して背が伸びなかった私は、学生になった頃肉体的コンプレックスのようなものを持っていた。

大学三年生の時、私はドイツに行くことになりパスポートをもらうが、そこでは身長が170センチであった。これは、検査した係官がお喋りしているのにつけ込んで、私が背伸びをしたからである。

私は半年間南ドイツの田舎町でドイツ語講習会に通う。よその国から来た講習生も、町の住人も、とにかく見聞することが何もかも珍しくてしかたがなかった。連日面白い出来事があり、出国前に身長を数センチもさばよんだことなど忘れてしまっていた。

私が知り合いになった人々は日本人の人種的特徴について特定のイメージを抱いていた。日本人として、私には彼等のイメージ通りに、例えば背が低く「日本人通り」なるか、反対に背が高く「日本人離れ」になる二つのケースしかない。私の場合がどちらになろうと、その点を彼らが重視しているようには当時の私に思われなかった。

彼らが私に期待したのは、私が彼らと何か面白いことをいっしょにしたり、冗談をいったり、話をしてお互いの理解を深めたり、親しくなったりすることであった。

半年して日本に戻ったとき、私は身体的特徴について、くよくよしなくなっていた。多分の当時の経験から、私は「ドイツ女性は面食いでない」と勝手に判断しているところがある。

周知のように、「美女・美男」については、欧米人に合わせた尺度がハリウッド映画のお陰で世界中に普及し、昔からグローバル・スタンダード化している。ドイツ女性もこの尺度を共有し、本当は面食いであるが、ただ日本人の私に適用しないだけである。このようにも考えられる。

確かに、彼女達がこの尺度を私に適用し、私を誰かハリウッドのスター、例えばグレゴリー・ペックと比較している印象は受けたことはなかった。なぜそのような女性が現れなかったのか。

彼女達は桂離宮に見惚れて、グローバルスタンダードを忘れてしまった。だから私を前にしてグレゴリー・ペックを考えなかった。この説明は幾ら何でも厚かまし過ぎる。あるいは、彼女達は私に遠慮したのだろうか。

考えたくないことを考えるべき時が来たようだ。彼女達から見て、私は「黄色いサル」のようなもので、だから尺度の適用範囲外にある。明治以来ヨーロッパに滞在した日本人のなかにはこう扱われていると感じた人々が少なからずいた。

とすると、私はこの社会で人種差別されているが、嫌なことに眼を逸らして暮らしていることになる。でも、この結論を聞いた多くのドイツ女性は、自分の夫をグレゴリー・ペックに比べたことはない、と笑い出すに決まっている。そうかもしれない。

こうして、自分の願望かもしれないと思いながらも、私は今後も「ドイツ女性は面食いでない」というであろう。

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