「欧州どまんなか」 August 29, 2001                                目次に戻る
夏の「ゲルマン民族大移動

 

助手席にすわる私の眼の前には、レンガ色の台形や三角形を組み合わせたような禿山の風景がひろがる。このあいだをぬうように高速道路が走る。後部座席では、早起きした子供たちが居眠りをしていた。

今年のバカンスを私がスペインの地中海沿岸で過ごすことになったのは、画廊経営者の友人が叔父さんの別荘に招待してくれたからである。その日朝早く、彼の家族と我が家族はミュンヘンからアリカンテまで飛び、予約しておいたレンターカー2台に総勢七人が分乗して北70キロ離れた海岸の町に走る。

毎年夏になると、ヨーロッパの北半分から何千万人もが太陽を求めて南欧に殺到する。この「ゲルマン民族大移動」に、はしなくも日本人の私も参加し「ゴート族」にまぎれ込んでイベリア半島の果てまで来てしまったのである。

こうして、昔「勤勉でバカンスなどしなかった叔父さん」が購入した別荘で、私は、小泉首相の靖国神社参拝をテレビで知り、水中メガネで海の中の魚を眺め、隣に住むベルギー人宝石商の娘がプールの横で裸でひなたぼっこするのを二階の窓から見物して女房にとがめられ、夜は夜でワインを飲み、政治や文化についてクダをまく怠惰な生活を過ごした。

飛行機代+三食付きホテル代込み二週間・一人当り邦貨で5、6万円といった我が家のバカンスでおなじみの他の休暇地と比べて、私は周囲の様子が少々違うのにしばらくして気がつく。というのは、町にドイツの銀行の支店があり、キオスクにこの地域で発行されたドイツ語の週刊新聞が二つも売られている。これは、多数のドイツ人が定住していることをしめす。

このあたりの地中海沿岸はコスタ・ブランカと呼ばれ、ホテル総収用能力は15万ベット程度で少なく、バカンス客をさばく主力は三百万戸に及ぶ別荘といわれる。禿山ばかりのこの地域のところどころにホテルや店の並ぶ町がある。必ずその周囲は見渡す限りどの丘も別荘分譲地に造成され、家が立っているか、建造中かで、かなりの建設ブームである。

友人によると、ドイツやその他の国の人々が投資を兼ねてこれらの分譲別荘を購入し、運良く借り手を見つけることができると家賃収入が見込める。また空家にして資産価値の増大を待ったり、定年後この地で老後を過ごそうと思う人々もたくさんいるとのことである。

地域で発行されるドイツ語新聞を読むと、確かに定住ドイツ人の大多数が高齢者であるようだ。スペインの政治や社会についてのニュースもあるが、老人のための体操、インターネット講座や介護業者の広告が眼につく。町毎に組織された懇親会やブリッジ・クラブのお知らせに7月と8月は休会とあるので、バカンス客が殺到する暑い夏に、逆に彼らは避暑のために涼しい本国を訪れるのではないのかと想像される。

また新聞にはスペイン人の「政治腐敗」と「環境意識の欠如」を非難する論調が強い。岩だらけの禿山が次から次へと別荘分譲地に変貌して居住可能になるのも、「開発」と称して税金によるインフラ整備の膨大な投資がされるからである。こうなるのは分譲別荘でもうける人々の見解がこの社会の政治を動かしているからだ。非難するドイツ人は、分譲別荘が増加して所有不動産の値段がさがったり、生活の質が低下したりすることをおそれているだけのように思われた。

水不足こそ、この地域の最大の問題である。休暇地も昔は小さな漁村で、降雨量が少ない居住困難な場所であった。この欠点が「バカンス時代」の到来で魅力に転じる。水の大量需要に応じるために、何万年もかかって石灰岩層の地中奥深くに貯まっていた水を数百メートルも掘って空っぽにした。またオリーブの栽培だけだった農業でも、オレンジやレモンの農園が増え、地下水汚染と水不足に拍車をかける。

人口が極端に増大する夏場の水不足に、スペイン人は現在苦労し、融通をきかせているように思われた。というのは、新聞の投書欄で、「水撒きをして庭の草花が枯れる」ことを心配するドイツ人年金生活者が水道水に海水を少し混ぜてインチキする当局者を非難していた。

でも、雨が降らないからといって、ドイツと同じように庭に水をまくことも、本当は皿洗い機も水洗トイレもこの地域の「自然の摂理」に反することである。白壁の分譲別荘の購入者が定年後本格的に住み始めたらどうなるのであろうか。

数年前私は地中海のマヨルカ島でバカンスを過ごした。町の地図を買うと「日本の老人ホーム」としるされている。訪れると空き地で草だけが生えていた。地図が古く、バブルの頃建設が計画され、結局実現されなかったようである。

詩心の乏しい私に「夏草や、日本のバブルの夢の跡」という文句が浮かび、思わず合掌してからホテルに戻った。早めにはじけるバブルのほうがはじけにくいバブルより人迷惑の度合が少なくて良いのである。