「欧州どまんなか」 December 19, 2001                            目次に戻る
「表通りの経済」の終焉

80年代のはじめ、シーメンス社と並び称されたドイツの代表的電気メーカー、AEG・テレフンケン社の経営が破綻し大騒ぎになった。日本勢が圧倒的に強い家電に未練をもちすぎたのが致命傷といわれた。テレビを見ていると、工場が所在する南ドイツのいなか町がでてくる。工場長は閉鎖に追い込まれる不幸を訴える。カメラは社員がローンで建てた住宅をうつす。君たちは月給を半分にしてもガンバレ。そう私は思った。

当時、大学時代の友人数人といっしょに私は書籍販売の零細企業をはじめた。慢性的資金不足で、私たちは増大する受注に対して自分の給料を会社につぎこむ。自分の給料を吐き出すのはいやだと彼らはおりる。私は、当時「ガンバリズム」信奉者で、根性のない奴は去れと思った。

とうとう失業問題が日本にも上陸したようである。
日本の失業率は2倍しないと欧米と比較できない。ドイツの専門家が昔私にそういったことがある。また日本人は優秀で勤勉である。でも、潜在的失業として経済的には存在していうるのではないのか。それが社会構造や政治体制で表面にあらわれないだけだ。そうささやかれたこともあった。とはいっても、日本は本当に長いあいだ「失業知らず」でつっぱしることができた。これはりっぱなことである。でも、こうだったのは、私達が数字中心の「表通りの経済」だけに注目してきたことと、少しは関係があるのではないのだろうか。

欧米では、失業問題は1970年の後半からはじまっている。西欧社会は、二十年以上も昔からこの問題に直面し、散々議論してきた。かっての私のように「ガンバリズム」で月給をへらしても、経済全体として雇用創出効果は少ないとされる。また誰かに企業家としての啓示がおとずれ、気休め程度雇用が生まれるるかもしれない。マスコミも成功例に照明をあて、幻想を拡散するかもしれない。でも完全雇用の夢はとっくに終わったというのが通説である。

長期的には先進国で、給料を払える仕事の数、すなわち雇用はどんどんへる傾向にある。例えば、私は七〇年代銀行で引出す金額を書き、銀行員がを受理した。インターネット・ブッキングでこの仕事も本当に少なくなる。企業は技術革新・合理化をすすめて雇用をへらすしかない。ひところ特効薬として喧伝されたジョブ・シェアリングも、二人で分けることのできる仕事そのものがリストラ第一候補であることが多い。現在の経済体制下で採算のとれる仕事の絶対数がへる傾向は、日本だけがまぬがれるものでものではないようである。ということは、今後日本でも失業者がふえていくのではないのだろうか。

今までの議論で、一番厄介とされるのは心の問題である。失業率が数パーセントであっても、家族等を含めると国民の四分の一が「働かざる者はくうべからず」で社会の裏通りに追いやられることになる。こうして、彼らは失業保険や生活保護をもらっても「飼い殺し」の肩身の狭い無気力な存在におちいる。

資本主義優等生で「ガンバリズム」の日本社会では、失業でヨーロッパ以上のきびしい差別構造が生まれることが心配される。また終身雇用の企業社会であった以上、職を失うのは人生の意味を失うことに等しい。

この問題に対処するために、私達はまず雇用数がへっていくという現実を正直に認めるべきではないのか。現在の経済体制で給料の払える職場はへっていくが、社会が必要とする仕事はたくさんあるのである。例えば主婦の家事・育児がそうで、これは雇用関係になく私的領域で「労働」でない。私達は今一度「労働、あるいは仕事とは何か」ということを考え直すべきではないのか。現在のシステムで雇用と無関係で、同時に私的領域の外に有用な活動が無数にあるはずである。例えば、社会福祉や環境分野のボランタリー活動もそのなかに含まれる。

発想の転換は、従来国家とか公務員に限定されていた「公」という考え方を拡大することでもある。ドイツでよく言われるが、原発反対派がいたからこそ、操業安全基準が厳しくなり、国民のために役立ったので、手弁当の原発反対市民運動も公務を果たしたのである。どこの国でも役人は自分たちだけが国を背負っているような顔をするが、こんなのはおかしい。監視を怠ることが多い彼らだけが、なぜ給料をもらっているのか。

失業・生活保護に行くお金に少し色をつけて、社会的に有用な活動とむすびつけること。従来の「公」の外に準公的活動領域をつくるような政策をとること(これは、公務員の数を増やすことではない)。こうすることが、国民一部の「飼い殺し」の回避、失業者増大予防につながるといわれる。また個人レベルでいうと、失業者が自分の人生や社会について考えて社会復帰することでもある。

日本でも失業が増えると、補正予算を組んで公共事業をしろという圧力が、今以上に強くなると予想される。こんなの、得した人が笑い、財政赤字がのこるだけである。従来の「公」の外に社会に有用な活動領域をひろめ、そこにお金が行くようにするほうがずっと現実的政策であることは論を待たない。