「欧州どまんなか」 June 27, 2002                                    目次に戻る
「インディアン」にされてもいい

 

とうとう、私も見てしまった。映画「パール・ハーバー」をである。

日曜日庭仕事をする女房に私は娘といっしょに映画館へ行くようにいわれた。ひさしぶりに天気が良くなったので、彼女は新聞がこきおろす映画など見たくなかったからである。

私のほうも、この映画だけは見たくなかった。ドイツの封切りは6月7日であったが、本国ではその前から上映されている。途中で映画館を出られた米在住の方の感想をAIC「読者フォーラム」で読み、私も「何故、今、真珠湾なのか」と思い、精神衛生上悪いことは避けるべきと考えていた。

私が文句をいっていると、女房が予想外の援護射撃を受ける。もうこの映画を見た16歳の息子からで、日本人の残酷度はとても控えめに描かれていると主張した。去年彼が見た、独立戦争を扱った米映画での英軍描写と比べて問題とするにあたらない。そう彼は強調する。

抵抗できなくなった私はこうして13歳の娘のお伴でこの映画を見ることになる。映画館までの自動車のなかで、娘はクラスのなかにはこの映画を3回も見た子がいると語った。

映画を見た私は息子と同じ印象をもった。その後私が読んだドイツ人の映画批評も類似した見解である。彼らは、製作者が日本市場での成功を重視し、日本人の感情を配慮している点を指摘した。そのために日本市場用特別バージョンが用意されているが、それだけにとどまらない。

かって米国があれほど強調した卑劣さ・騙し討ち的要素も後退している。豪華客船を沈没させる氷山に代わって、今度は零戦が爆撃を始めるだけのメロドラマそのものに、この理由を見る人々も少なくなかった。また日本の戦士が所持する「家族写真」をうつすことは彼らが普通の市民であることを示すことで、これも米の日本市場への「歩み寄り」と見なす批評もあった。

このように感じることはドイツ人映画評論家も私もヨーロッパにいるからである。米国で暮らし、「パール・ハーバー」という単語を米国人が特別のニュアンスを込めて発音するのを聞いてきた日本人が別の反応をされるのは当然である。

厄介な問題は米国の戦争観に関係している。米国人から見て、「太平洋戦争」と呼ばれる対日戦争は、彼らがそれまでやってきたインディアン討伐戦争の延長にあったのではないのか。私はドイツで暮らすようになって、彼らの対独戦争と比べる機会が多くなってから、そう思うことが多い。

ということは、ハリウッドが太平洋戦争を材料にし、監督がうっかりしていると、戦争映画というより西部劇になる可能性があることでもある。日本兵が米国の戦争映画で「黄色のインディアン」になる点を指摘した映画史研究論文がある。今回もそのケースで、だから日本軍にインディアンのように野外で作戦会議を開かせたのではないのだろうか。

このように考えると、「旧世界」のヨーロッパにちょっかいを出した対独戦争より、「新世界」でした太平洋戦争のほうが、米国人の意識の上では、より米国建国神話の開拓者精神に則ったアメリカ的戦争であったことになる。

この映画は、飛行機が害虫駆除の薬を散布し、地上で主人公の二人の男の子が戦争ごっこをしている場面からはじまる。これは、開拓した土地を害虫から守ることと、空軍兵士として外敵と戦うことが意識の上で同列に並んでいることを表し、このアメリカ的戦争観を示す。また映画は子供を飛行機に乗せてこの戦争観を伝える場面で終わるが、これも象徴的である。

私の父親の世代にあたる日本人は、この米国に敗戦し、文明的に劣った「黄色のインディアン」として扱われたと感じた。当時それは屈辱感を伴う体験であった。でも半世紀以上もたった今、それに対する私たちの回答は「縄文時代」を「文明」に昇格させることではないはずである。また環境問題を重視する立場を取れば、米国からインディアン扱いされることは光栄以外のなにものでもない。

私はヨーロッパで暮らしているせいか、別のことを心配する。それは、第二次世界大戦が人々の意識の上で戦争でなくなり、「ホロコースト(ユダヤ人虐殺)+アルファ」に収縮し、その結果日本軍がした悪いことが「ホロコースト」と区別されなくなる点である。

この心配を抱く私にとって、ヨーロッパだけでも何千万人もの観客を集める映画が製作され、第二次世界大戦にホロコーストが起こっただけでなく、米国と日本が戦争していたことが強調されるのは本当にありがたいことである。

最初映画をみるのを嫌がっていた父親がすっかり上機嫌になり、娘もうれしかったのかもしれない。映画館から近くに駐車した自動車まで、私達は久しぶりに手をつないで歩いた。