「欧州どまんなか」 August 15, 2001                             目次に戻る
ドイツから見る「8月15日」

 

1945年8月15日は日本国民にとって節目になる特別の日である。すでに翌日の朝日新聞社説に次の一節がある。

「過ぐる十五日の正午、一億国民の耳朶を激しく打ち、国民の胸奥を強く揺すぶった玉音は何人も終生忘れ得ないところであり、必ずや子々孫々言ひ傳へ、語り継いで永遠の戒めとするに相違ない」

本当にこの通り几帳面に、私達は毎年「終戦記念日」を迎え、「子々孫々言ひ傳へ、語り継いで永遠の戒め」としている。

それでは、同じように戦争をして負けたドイツ国民はどうなのだろうか。ドイツて戦争が終了したのは、同じ年1945年5月8日である。でも、この日はドイツ国民にとって「8月15日」のような「永遠の戒め」の日ではない。

例えば、1949年5月8日に米英仏占領地区の地方議会代表者によって憲法草案が審議・採択され、その結果ドイツ連邦共和国が成立した。この建国に重要な審議・採択をする席上、六五名の代表者の誰にも、四年前の同じ「5月8日」に戦争が終了したことが思い浮かばなかったといわれる。このことを奇異と感じる人はこの国にいたとしてもごく少数である。

それでは、「5月8日」がドイツ社会で特別な日として扱われないかというとそういうわけでもない。ただ、この日が節目となるのは、せいぜい1955年、65年、75年といった十年単位のことで、毎年「終戦記念日」が来る日本と比べると「節目」の程度が十分の一ということになる。

なぜドイツではそうなのか。このことを考えることは、日本の「8月15日」の性格について考えることでもある。なぜドイツの終戦の日が国民意識の上で特別の日でないか、その理由は日本人に理解しやすい。それは、ドイツでは日本の表現でいうと「本土決戦」になったからである。

「本土決戦」とは、村や町が一つづつ敵の手に落ちていくことである。こうなると住民の意識の上では、戦闘が終了して自分達にとって事無きを得たかどうかが重要になる。国民全体で考えると、これは国家の始めた戦争が意識の上で戦争でなくなり、無数の戦闘に解消されてしまうことではないのか。

このような経験をした国民にとって「5月8日」とは、どこか遠い場所で最後の戦闘が終了した日に過ぎない。自分の町が占領された日付を憶えているのに、自分の国の戦争がいつ終わったかを知らないドイツ人を私は何人か知っている。というのは、この日が後から知った日付であり、どこか抽象的で歴史の授業で習う年号に近いところがあるからである。

このように考えると、1945年8月15日が「終戦記念日」なったのは、「本土決戦」にならずその結果、「玉音放送」というメディの力で国民の大多数が戦争の終結を「歴史的瞬間」として体験したからである。ヒットラーの後継者カール・デーニッツ提督は5月8日12時半にラジオで国民に演説をした。「玉音放送」の視聴率はとても高かったと思われるが、こちらのほうは限りなくゼロに近い。私はこの放送を聞いた人も、聞いたことを書き残している人も知らない。

次は連合軍の「無条件降伏」要求である。このコトバを「我が身を敵の慈悲もしくは無慈悲に委ねる」というドイツ語の慣用的表現に置き換えて当時の人々は想像した。「本土決戦」とは、国民が全体としてでなく、村毎に町毎に、またバラバラになった個人として「無条件降伏」したことになる。「敗戦」とは「敵軍」が「占領軍」になり、彼らに対して自身が無力な立場に陥ることであった。このことも、またこの状態が変わったことも、「我が身を敵の慈悲もしくは無慈悲に委ねた」人々のほうがより意識的に体験したのではないのか。

反対に、「鶴の一声」で戦争から平和になった国の住民は、敗戦が「我が身」にもたらした状況を意識するのが困難であったようにみえる。例えば、当時の新聞にある「けふ聯合軍進駐。学徒、清掃に大童」、「辱しや、混亂電車。進駐軍に我ら何を誇るべき」といった見出しも、この事情を物語る。(観光見物に米軍が大挙して上陸するような気がしないだろうか)。

私達は「昨日の敵は今日の友(あるいは師)」で占領時代をやりすごした。占領軍の間接統治が作用したにしても、これは「本土決戦」にならなかったからである。

ドイツ国民は「敗戦‐占領‐(部分)主権回復」という各々の節目を意識することができた。私達には「8月15日」という節目が太いので、これら他の細い節目が見えにくくなっているのではないのか。国家主権などとっくに回復しているのに、私達は心のどかで今も占領時代が続いているように感じる。また、経済成長が止まっただけで「第二の敗戦」と嘆く。

あの時、日本はドイツのように「本土決戦」にならなかった。それはよいことであった。当時赤ん坊であった私も生きていて今このコラムを書いている。でも、私達はもう少し「8月15日」の負の部分にも眼を向けてもいいと思われる。