「欧州どまんなか」 October 03, 2001                               目次に戻る
ユダヤ人が避けて通る「ユダヤ人の国」

 

戦後ドイツは「ホロコースト」、ナチのユダヤ人虐殺のために、ユダヤ人が避けて通る国であった。ところが冷戦が終了してから、それまで三万人あまりだったユダヤ人が十万人にまでふえた。ユダヤ人歓迎政策をとるドイツに、多数の人が旧ソ連から移住したからである。このためドイツは、世界中のユダヤ人を集めることを国是とするイスラエルの不興をかう。九〇年代前半、私は新聞の片隅でこのことを読んだおぼえがある。

多数のユダヤ人がイスラエルを避けて通るのは、この国が隣国と臨戦状態にあり、絶えずテロの恐怖にさらされているからである。イザヤ・ベンダサンが昔書いたように、「安全と水」をタダと思う日本人とは反対に、この点でユダヤ人はバロメーター的存在である。

少し前、今回のニューヨーク・テロのことで疑われている組織が「米国人とユダヤ人がいる場所は今後テロの目標となる」という声明を出した。米国をイスラエルと同じ状況に追い込むことが彼等の目的で、これはこの国がパレスチナ問題でイスラエルにあまりに肩入れするからである。

でも、米外交は昔からいつもイスラエルと一心同体であったわけでない。また歴史的にも、キリスト教徒から見て、ユダヤ教徒も回教徒も似たような異教徒で、西欧社会で今ほど「回教文明」だけが特別視されることはなかった。これに関連して、私が思い出すのは、ユダヤ系米国人歴史家ペーター・ノーヴィックの「ホロコースト後」(原題:"The Holocaust in American Life"という本である。

この数年来、米国はホロコースト・ブームというべき状態で、ワシントンを筆頭に大都市にはホロコースト記念館があり、また多数の大学に「ホロコースト」講座ができ、研究者のポストだけでも千以上あるそうである。ナチのユダヤ人虐殺は米国自身が加害者でも被害者でもないので、この現象は異常で、この点に上記の本は歴史的なメスを入れた。

第二次世界大戦後長い間、ナチのユダヤ人虐殺・「ホロコースト」を語ることは犠牲者の内輪に限定され、米国のユダヤ人社会全体では忘れるべき事件とされていた。またユダヤ民族はイスラエル建国に参加するべきとするシオニストと、この考えに反して米国で暮らすユダヤ人とは疎遠な関係にあった。

この状況が変わるのは1967年の第三次中東戦争で、アラブ諸国に包囲され存亡の危機にあったイスラエルが華々しく勝利する。奇妙なことに、その途端米国在住ユダヤ人は親イスラエルに転じ、同時に民族絶滅の恐怖が蘇り、「ホロコースト」が彼らの意識のなかに根をおろしはじめる。また米外交も、民族主義からソ連寄りの傾向を見せていたアラブ世界でイスラエルを西側陣営の橋頭堡と見なす傾向が強まる。

次の要因は、米ユダヤ人社会内での宗教離れで、また他民族と結婚する人も増加する。こうして、本来のアイデンティティーを失いつつあるユダヤ人を束にまとめる役割を、「ホロコースト」の記憶がになうようになる。「私たちは旧約聖書をヒットラーの『我が闘争』ととりかえてしまった」と、あるドイツ在住ユダヤ人作家が嘆いたのも、この倒錯状況を物語る。

70年代の後半、米社会はベトナム戦争の後遺症を患っていた。ユダヤ人虐殺ほど敵国の不正義と、「米国の戦争の正義」をあきらかにしてくれて、「魂を病む米社会のイヤシ」に役立つ事件はない。その結果、それまでユダヤ人社会に限定されていた「ホロコースト」の記憶が米社会全体の共有物に昇格する。

80年頃から米メディア、特にハリウッド映画によって西欧社会全体で「ホロコースト」が注目を集める。同時に被害者のユダヤ民族は「最大の受難者」と扱われ、これを記憶することが「良心」を機能させるものと見なされる。この点に、著者ノーヴィックはイエスを最大の受難者とするキリスト教的要素を見る。とすると、「ホロコースト」が、宗教離れしたキリスト教徒とユダヤ教徒を「西欧文明」という名前で相互にむすびつける役割を果たしていることにならないだろうか。

ヨーロッパ知識人の意識の中で戦後長らく「アウシュビッツ」と並んでいた「ヒロシマ」が脱落するのも、私の知る限り、この頃からである。これも、「ユダヤ人虐殺」が、ノーヴィックが指摘する意味に変化したからではないのか。

また七〇年代の後半からドイツの知識人あいだで、未来ユートピア型の社会主義が魅力を失う。「未来」失った結果、過去に遡って、歴史の見方の上だけでも「完全に公平な状態」を実現しようとする考え方が強まる。「未来」が「過去」にかわったこの逆ユートピア思考モデルで、ユダならず、ヒットラーに殺された「ユダヤ人」がその座標軸の原点になってしまう。こうして、パレスチナ問題で従来イスラエル批判者だった左翼知識人が「この複雑な問題」に関心を失いはじめる。またイスラエルも、「最大受難者」がつくった国とし扱われるせいか、メディアでも政治でもイスラエル批判は穏やかになってしまった。

自分がユダヤ人であるノーヴィックは、このような現状がユダヤ民族に幸いをもたらすと思っていないようである。日本人の私は、「ホロコースト」がこの民族にとって不幸なできごとであっただけに、人間の「業」のようなものを感じる。