「欧州どまんなか」 April 18,2001                             目次に戻る
「5月8日」と臆病な私

1990年代のある日、学校から戻った息子が「第二次世界大戦は1945年5月8日に終った」と母親に話している。尋ねると授業でそう習ったと答えた。「それは間違っている」と私がいうと息子は困ったような顔をした。

その晩ビールをのみながら私は考え込む。息子の学校へ行って担当の先生に間違いを指摘すべきではないのか。ドイツは1945年5月8日に降伏したが、日本は8月15日まで戦争を続けた。その間にも重要な事件が色々あったのである。

翌日、臆病な私は息子の学校へ行かなかった。「欧州で世界大戦が終ったといっただけなのに、息子さんが、、」と担当の先生が不出来な息子の注意力散漫を指摘するかもしれない。息子は体育以外の科目は今でも不得手である。

私があの時学校へ行って、「先生。1945年5月8日から間もない頃私は太平洋に面した日本の町で生まれました。当時日本は戦争中で、私の家族は空襲をさけるために長野に疎開したのです」と話していれば後に残らなかったと思う。

いうべきことはいう。この国ではそのほうが良いのである。この原則に私が反したことのトバッチリを受けたのがマッシャー君だった。彼と私とは大学でゼミが同じで、卒業後、偶然彼は近くの高等学校で国語と歴史を教えるようになった。

しばらくして、誰か共通の友人のパーティーでマッシャー君に会った私はこの話をもちだしてしまう。「そういうことはありうる」と彼は説明した。「1945年5月8日は欧州での世界大戦終了の日で、先生がうっかりしていると生徒はこれで戦争が済んだと思うかもしれない」

いいヤツである、マッシャー君は。こういうときに聞く耳などないという態度のドイツ人は少なくない。悪かったのはいうべき時に黙っていた私であった。私は妙に論理にこだわり、相手にからむクセがある。「欧州での世界大戦の終了」という表現に含まれる論理的矛盾を私は指摘した。

こうして、ろくでもない口論がはじまる。私は「ヨーロッパ中心主義」を批判し、マッシャー君はドイツの新聞で読んだ「日本の無反省」を指摘した。私も黙っていない。その場にいた女房によると「とても感情的な議論」になったそうである。

この後、マッシャー君と私とはおたがいに「バカンスはどこで過ごしましたか」と尋ねあうだけのそらぞらしい関係になってしまう。そして去年、彼は心臓発作で若死にした。

1980年代中頃から敗戦日「5月8日」はドイツ社会で「解放日」になってしまった。敗戦40周年のヴァイツゼッカー大統領(当時)の演説がこの意識の定着に役立ったとされる。それは次の箇所である。

「しかし日一日と過ぎていくにつれ、5月8日が解放の日であることがはっきりしてまいりました。このことは今日われわれ全員が共通して口にしていいことであります。国家社会主義の暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります」(岩波ブックレット「荒れ野の40年」)

こう演説した人に直接責任はないが、あの頃から私にはドイツ人がだんだん不自然になってきたような気がする。この事情を説明するのは本当にむずかしい。

例えば、誰かがヒットラー政権下の或る日ポテトサラダを食べておいしかったことを思い出す。昔はこの愚につかぬことを普通にいえた。今では、このことをいう前にこのポテトサラダに政治的意味がないことを二度も三度も強調しなければいけない。そうしないと当時の「人間蔑視の体制」に賛成していると誤解されかねない。こんな雰囲気である。

確かに理由は息子の不出来かもしれない。あの晩ビールを飲みながら、息子の学校へ行くのが私に面倒になってきたのも、この雰囲気と無関係ではない。

1945年5月8日ドイツに「解放日」が訪れた後も日本は戦争を続けた。今のドイツ人がこのことをどう思っているのであろうか。私は何とか想像しようとする。

そんな時に思い出すのは、70年代太平洋の島やフィリピンのジャングルに隠れていて、収容された日本兵のニュースである。「戦後」という別の時代に暮らしていた私は当時驚いたし、またバツが悪く、何か場違いなことに感じた。

ドイツ人には「5月8日の解放日」で「戦後」がはじまっていた。でも地球の裏側の日本はまだその前の時代で、(「横井さん」のように)新しい時代がはじまったことに気がつかないで戦争をしていた。私のヒガミかもしれないが、こんなイメージでドイツ人が日本を見ていると思われることが多い。

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