「欧州どまんなか」 November 28, 2001                          目次に戻る
まぼろしの「まぼろしの南京大虐殺」

 

二年ぐらい前のことである。日本からご夫婦でドイツに来られ、遠くの町で暮らす日本人の知人からお電話をいただいた。学校の歴史の先生から父親に尋ねるようにお嬢さんに質問が渡されたという。授業で第二次世界大戦を扱っていて、質問は「南京大虐殺」に関連するものであった。彼がお店を経営し一日中忙しいのはよく承知していたし、また困っているようでもあったので、私は協力を申し出る。

しばらくして彼のお嬢さんからファックスによる質問が届いた。その少し前に、中国系米国人女性がこの事件について書いた本がドイツ語に訳され出版された。だからこのテーマが高校の歴史授業で問題にされたのだと思われた。

私は日本のある歴史家が書いた「南京事件」という本を参考にすることにした。これは学術書ではないが、読みながら著者の記述が学問的でフェアな感じがしたからである。はじめにこの本のことを書いて、なるべく引用を多くし、質問に対してこの本に答えさせるようにし、また関連ページを表記した。薄い新書版であるために作業は速やかに進行する。

作業の途中で、知人のお嬢さんから私宛てにドイツ語で書かれた手紙の一節が思い出された。そこには「日本兵が強姦したばかりでなく、その女性の腹を切りさくなどして惨殺し、また中国人の父親に自分の娘を強姦するよう強制したりしたことが私は理解できない」と書かれていた。

私は彼女に何か書こうかと思ったが、かわりに自分が以前ドイツの新聞に書いた記事のコピーをいっしょに送ることにした。これは、ドイツ人記者がホロコースト「ユダヤ民族絶滅」についてドイツ国内でされる議論のパターンを日本にあてはめる結果、彼らの眼には日本国民の大部分がドイツの極右に近く見えてくることを皮肉ったものである。二週間後彼女から丁寧なお礼状が来た。質問の回答をもとにして、自分でも本を読み、歴史の授業時間に発表し、とてもほめられたと書いてあった。

それからしばらくして、また「南京大虐殺」について長文のEメールを私はもらう。今度は日本の評判が外国で悪くなることを心配しておられる人からであった。私は昔から何かを熱心に主張する人は嫌いでない。面識はなかったが、懇切丁寧な手紙に私は好印象を抱いた。また事件について通り一遍のことしか知らない私とは異なり、その人は知識豊かで、個々の主張は理屈にあっているように思われた。でも読み進むにつれ、「南京大虐殺などはなかった。」と主張しておられる感じがした。

ドイツで暮らしていると議論することが多い。議論で感情的になったり、途中で自分が何に反対していいたかわからなくなったりすることがあるので、私は自分を落ち着かせるために中学校の英語の授業を思い出すことにしている。それは、当時先生から聞いた「全体否定と部分否定」についての説明である。例えば「メアリーはジョンと昨日映画館へ行った」という文で、どの部分を否定するかの話であった。昨日でなく三日前に映画を見たのなら、「昨日」の部分を否定し、デートの相手がジョンでなく、ロバートであれば、「ジョン」の部分を否定すると私は当時習った。

議論で反対意見をのべる場合、相手の主張を頭のなかでセンテンスに直し、どの部分を否定するか考えてから否定文をつくることが大切である。例えばメアリーとジョンが昨日でなく三日前映画館に入っていくの見たと主張し、必要があれば自分は近眼でないいえばよい。

「南京で大虐殺があった」という文を否定しようとすれば、「北京」であったと奇妙な主張をする人がいない以上、「大虐殺」のほうを否定することになる。これは日本でやっている分に差し支えがないかもしれないが、欧米文化圏に持ってくると奇妙なことになる。

この文化圏では、多数が殺されたら「マサカー(英語の綴りではmassacre)」という単語で歴史的事件として登録される。例えば、宗教戦争中の事件「聖バーソロミューの虐殺」も、英・オランダ植民地争奪で起こった「アンボイナの虐殺」も、日本の教科書にもあるが、ヨーロッパの共通語というべき「マサカー」が使われている。後者は17世紀わずか12人の英国人がモルッカ諸島でオランダ人に殺された事件である。

「南京大虐殺」も、こちらの言語では規模の大小無関係に「南京のマサカー」になる。「外国での誤解を解くべき」とがんばって「大虐殺(=マサカー)ではなかった」という全体否定として受け取られることになれば、これまたたいへんな誤解につながる。「大虐殺」があまり大きくなかったと考える日本人のあいだでも、事件の犠牲者数が11人以下であったと主張する人は皆無に近いからである。

文化が異なると議論が難しくなることがあるが、これもその例の一つである。長いメールをよこされたかたには、中学の英語の授業からはじめて、ここに書いたことを詳しくしたためて返事を出した。その後音沙汰がないので、理解してもらったかどうか、わからない。