「欧州どまんなか」 September 12, 2001                          目次に戻る
ドイツ式「浮気の仕方」

 

私は皮膚科のお医者さんところへでかけた。予約したのに、待合室には数人の先客がすわっていた。暇つぶしに置いてある雑誌のなかから、私は若い人向けで美しい写真が多い「マックス」を手にする。この雑誌の特集テーマは「浮気」で、識者のコメントや多数の体験談や注意点など盛り沢山ある。

「浮気」が話題になるのは、有名なテニス選手ボリス・ベッカーが何度も浮気をし、離婚されて数十億円もの慰謝料を払ったからである。特集は「浮気はベッカー選手だけではない」と、ドイツ国民がフランスやイタリアの隣国並になりつつあることを強調する。

ヨーロッパでドイツ人男性というと「メガネをかけたマジメなエンジニア」を連想するそうである。またドイツ人の女性のほうも、清潔ずきで倹約家かもしれないが、昔私が読んだロシア文学で男性がアヤマチを犯すのはドイツ人ではなく、フランス人の女性家庭教師である。

特集は、イメージの上でドイツ人と浮気は結びつかないが、想像以上に多くの人が浮気すると主張し、証拠として世論調査をあげる。女性の38%、男性の42%が浮気体験者で、数字の上ではドイツも堂々たる「不倫大国」である。

現首相が4回も結婚した国の離婚率は高く、四組に一組である。この社会の大半の人は何度もくっついたり、離れたりしているうちに年取っていく。私には、よくそう思われる。また誰かが正式に結婚しているか、内縁関係にあるかなど気にかける人もごく少数である。上記の世論調査も、ことわっていないところを見ると、所帯をもつカップルすべてが対象で、だから「不倫率」が高いのではないのだろうか。

「(浮気の)場所として自宅は落ちつかないし、自動車も冬は寒いのでホテルが適当である。旅行用バッグを持たずチェックインし、宿泊しなくても、ホテル従業員は事情を心得て、怪しいと思わない」という助言を読んで、私は笑いかけた。

子供の頃から町のなかで「ご休憩XX円、ご宿泊XX円」という看板を見慣れていた私は、ごの国が「浮気のインフラ整備」に遅れをとっていることに、あらためて気がつく。ドイツのテレビ放送の日本特集で「ラブホテル」がよく登場するのも、自国にないからである。

同一パートナーと性的関係を繰り返すことに退屈し、変化を求めるのも、若々しい肉体に魅力を感じるのも、よくあることである。浮気がパートナーを傷つけること、また嫉妬の原因になることも、パートナー同志に「性的相互独占権」が発生するからで、目新しくない。

でも読み進むうちに、ドイツ人の「浮気」とか「不倫」とかが、日本と少し違うような気がしてきた。そして、昔大学で同じゼミに通った日本人の友人が語ったことを私は思いす。

彼はドイツ人の女性と同棲していた。ある日その女性が遅く帰り、別の男性と性的関係をもったこと、それに至る事情を詳細に語り、理解を求め、従来の関係を維持したいと彼に訴えた。友人は、起こったこと以上に、そんな話しをされたことに苛立ちを覚えたという。彼女との関係は「覆水盆に返らず」になる。

体験記を読むと、確かにパートナーに知らせる人が大多数である。ある男性は束の間の情事を「自分とパートナーとの関係に持ち込んで、引きずっていかない」ために告白し、数ヶ月間苦渋に満ちた別居生活をおくる。

パートナーに知らせなかった少数派も、その旨を体験記のなかでかならず記す。これは、パートナーに告白すべきか、それとも黙っているべきかが、彼らの意識のなかで選択肢として存在する。だからどこかで重要なのある。

浮気を奨励する識者と反対する識者が登場し、ご託宣を並べるのはどこの国でも似ている。奨励側の心理学者は「真実に耐える能力がパートナーにあるかを考慮して沈黙する」選択も認めていた。

日本で浮気とは、「ばれる」か、それとも「ばれない」で済むかで、自分からパートナーに「ばらす」選択肢は、特別な意図がない限り、考えにくい。こうなると、浮気も「浮気」でなくなると私達は思うかもしれない。

文化の違いとは、同じような事件が起こっても、それに反応して起こす行動の選択枝が、かなり異なることである。私たちには、選択肢として存在しない行動をとることなど思いつかないし、はじめから問題にならない。こうして見ると、浮気についてドイツは、日本と文化的に明白に異なるし、私の見聞するかぎり、ヨーロッパの隣国とも違うようである。

こんなことを考えているうちに、待合室にすわっている人々の顔ぶれがすっかり変わっていた。そろそろ診察室に呼ばれると私は思った。