「欧州どまんなか」 August 22, 2001                                目次に戻る
「セックスの女王」の死

 

8月3日、ドイツ北端の町フレンスブルクで戦後西ドイツを代表する女性実業家ベアーテ・ウーゼの葬儀が盛大に催された。彼女の名前を聞いても日本人の多くにはピンと来ないと思われる。でもドイツの世論調査では98パーセントの国民が彼女の名前を知っている。この知名度は日本人が知る政治家や音楽家といった著名ドイツ人をうわまわる。

ドイツの町で中心街をうろうろしていているうちに、堂々とした門構えのセックス・ショップがあるのに気がつかれた日本人はいないだろうか。そういうことがあれば、それは二百軒近くあるベアーテ・ウーゼさんのお店の一つである。

ゾーリンゲンの刃物を売る双子マークの「ヘンケル」のお店にはかなわないにしても、「ベアーテ・ウーゼ」のショップに立ち寄った日本人の数は決して少なくない。ブランド名が記憶に残っていないとすれば、入口でキョロキョロしたり、商品により関心を奪われたせいではないのだろうか。

「ベアーテ・ウーゼ」グループの業務はポルノやバイブレーター等の店頭販売だけでなく、大黒柱は創立以来の通信販売で、またポルノ映画製作・直営館経営、インターネット、有料テレビ専用チャネルもつなど多岐に渡り、昨年度のグループ連結売上は三億二千万マルクに及び、1100人の従業員をかかえる。二年前念願の株の上場を果たした。同じ頃上場し、今や見る影もないIT企業を尻目に証券アナリストの評判もよい。

「性」がドイツ社会で現在の在り方に変わったことに対する貢献者をあげるとすれば、「セックスの女王」ベアーテ・ウーゼさんの右に出る者はいないとされる。

数年前、私は「ドイツ・セックス産業最前線」といったルポを書く週刊誌の記者をする友人といっしょにベアーテ・ウーゼさんにお会いした。とても気さくなおばあさんで、私達が日本人ということもあってドイツ語版・謝国権「性生活の知恵」でもうけた話をしてくれた。

1918年東プロイセンの豪農の家庭で生まれたウーゼさんは18歳でパイロットの免許をとり、戦争中は戦闘機のテスト飛行や輸送に従事する。敗戦直前軍用機をかっぱらって、生まれて間もない息子とメードさんと三人の病人を乗せてソ連軍に包囲されたベルリンから脱出するのに成功した。

フレンスブルクで戦争未亡人として戦後の窮乏時代を過ごすウーゼさんは、多数の女性が妊娠して困っているのに気がつく。当時はコンドームなど入手できない時代だった。彼女は「排卵日早見表」付き避妊法解説書を売り出す。この「Xの書」がウーゼさんの最初のヒット商品であった。

その後、ヴァン・デ・ヴェルデの「完全なる結婚」といった啓蒙書、セクシーな下着、射精を遅らすためのクリーム、特別な工夫がこらされたコンドーム等の避妊用具など、セックス関係の商品の通信販売で売上を増大させる。

戦後西ドイツ社会では「性」に関するタブーが強く、ウーゼさんの商売は「良俗に反する」ものとして裁判が繰り返された。それに対抗するウーゼさんの立場は「啓蒙」とか「自然」とか「健康」といった価値観であった。

正直なところ、このようなキマジメなセックス観は、「大人の玩具」という表現に象徴されるように、「性」と「アソビ」をむすびつける日本人に奇妙かもしれない。ウーゼさんの考え方に従えば、セックスは男女が健康のために定期的に森の中を散歩するようなもので、早漏の男性とは「健康管理」を怠ってスタミナ不足をひきおこすのと同じことになる。ビタミン剤をのんだり、歩きやすい軽い靴を買ったりするように、彼女の商品を購入しなければならない。

1960年代のはじめにベアーテ・ウーゼさんのチェーン店がドイツの各大都市に出現しはじめる。当時の店を写真で見ると清潔なドイツの薬局の面影があり、白衣を着た店員が働いていても不思議のない雰囲気であった。ウーゼさんの商業的成功は、「性」が当時西欧近代社会で、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが指摘したように、(実行される以上に、)観察・話題、「自主管理」の対象に変わる最終段階に入っていて、時代の追い風を受けたからである。

七〇年代はじめ刑法改正でポルノが大幅に自由化された。同時に彼女のチェーン店が現在のセックス・ショップの姿に変貌する。またウーゼさんの批判者も教会関係者・保守主義者からフェミニストにかわる。というのは、彼女のポルノが女性を「男性の欲望の道具」に貶めて、「女性の人間的尊厳を踏みにじる」からである。こんな批判に対して、ウーゼさんのほうは、「男性の人間的尊厳を踏みにじる」ポルノの女性購買者層拡大に意欲を燃やすだけであった。現実もそうなりつつある。

「ドイツセックス産業最前線」についてのご高説をうかがい、別れるときに、「今度はちゃんとしたビジネスの話で再会したい」と彼女に激励されて、友人も私も当時狼狽した。