「欧州どまんなか」 August 01, 2001                         目次に戻る
「読むこと」と「話すこと」

 

日本語でもドイツ語でも、「A君は英語がよくできる」ということがある。でも日本で暮らしていたときの方がこの表現を聞く回数が多かった。また日本語でいうと独特のニュアンスがあるように思われる。

普通、私達は日本人に「日本語ができる」とはいわない。主語に外国人が来ないと意味をなさないからである。ということは、「A君は英語がよくできる」は「A君は日本人(=外国人)である(のに)、英語がよくできる」ということになる。

こう考えると、日本人が自分や同国人の外国語能力を気にすることは、「自分が日本人である」こと、あるいは「同国人は日本人である」ことを自分に言い聞かせていることにもなる。これは、オリンピックで背中に日の丸つけるようなところがあり、心理的な重荷にならないだろうか。

私は「しんどいのはかなわん」し、自分を関西人で「日本人」と思っているので、かなり昔から自分について「ドイツ語ができるかどうか」気にしないことにしている。でもこれは、自分の語学力に満足していることではない。私は自分の発音とイントネーションがドイツ語らしくなく、ドイツ語を話しても京都弁で何かいっているような気がする。

こうなのは、自分が大学一年生でドイツ語をはじめたとき発音などに注意を払わなかったからである。その後、私は三年生からドイツ文学を専攻するようになった。そこでも文学作品を読んで訳すだけで発音などに誰も関心を抱かなかった。

当時、私を含めてドイツ文学を専攻する学生のあいだには独特な雰囲気があったのを今懐かしく思い出す。ドイツに関して私達はどこか分裂症的で、ドイツに近づきたいと思いながら遠くにあって欲しいと思うところがあった。

私達は価値あるものとそうでないもの分けて、ドイツ語会話など本質と無関係で価値の低いもの、仕方がなしにしやるものと考えていた。この点、近代化にあたって「和魂」と「洋才」に分け、「洋才」を本質と無関係で価値が低いものの、必要と見なした明治の日本人に、私達は似ていたのかもしれない。

生意気な私たちは会話の授業はバカにして、ドイツ語を上手に話す先生を重要なことなど理解できない「エーカッコシー」として軽蔑した。一方でこう思いながら、他方ではドイツ語を話すこと対して強烈な憧れがあって、それができる人々は当時の私達にとって「国際的舞台」に立っているようにみえた。この点でも、私達は分裂症的だったのである。

私が学生時代を過ごしたのは六〇年代後半で、外国が私達の意識の上で遠かった時代である。周知のように、その後たくさん日本人が外国へ行くようになった。ドイツ文学研究者も私より一世代ぐらい下からドイツ語を上手に話す人が多く、分裂症を患っているようにみえない。

なぜ私がこんな学生時代のことを思い出したかというと、少し前日本の英語教育関係者と「ドイツの外国語教育」とか「日本の英語教育改革」について議論する機会があったからである。

私には、「受験英語」にもかかわらず英語を話すことができる日本人は着実にふえているように思われる。企業関係者を見てその感が強い。彼らが英語を話すのは伝達したいことがあるからである。例えば、長年努力して開発した機械の良さが理解されなければ、誰でも黙っていることができない。国際社会でも伝達したいことがなければ黙っていてもいいので、特に恥に思うことはないように思われた。大人になったらどんな立場に置かれるか分からない以上、話すにしろ黙るにしろ学校の英語教育が改善されるのに越したことはない。

ただ、久しぶりに「外国語教育」ついての議論に接して、現実のほうが先行して議論が昔と変わっていない気がした。例えば、「文法・読解中心」かそれとも「会話中心」かという議論の枠組であるが、「読むこと」と「話すこと」を別々別々に考えていた昔とあまり変わっていない。

眼が悪くて読めない人や、また耳が悪くて音を聞くことができない人にとって言語習得は、普通の人以上に苦労である。「会話」と「読解」を別々にして、自らすすんでハンディーを背負うのは理解に苦しむ。

外国語を話す人は、学生時代の私達に「国際的舞台」に立っているようにみえた。今でも外国語を話すことに、似たイメージがあるのかもしれない。とすると、日本の「英会話ブーム」は、どこか「舞台」の上に立つ気持にさせるカラオケに一脈通じる。(かなり以前、このことを皮肉ったドイツ人ジャーナリストがいた)。

でも「国際的舞台」なんていったいどこにあるのであろうか。

カラオケは遊びで楽しいし、外国語の習得も遊びながらはじめて長続きすればそれはそれでいいのである。