「欧州どまんなか」 June 20, 2001                                      目次に戻る
上書きしますか
「いいえ」‐保存します


 

ハッセルバッハさんと私が知り合ったのは教会のバザーである。彼女は衣服を担当していた。腕が短いためにジャンパーを何度も試着する日本人に、この上品な老婦人は辛抱強くつきあってくれた。

それ以来、私はハッセルバッハさんと挨拶するようになる。でも、彼女の娘さんが女房の友達であることや、ご主人が昔ヒットラーの世話をしていた医者の一人であったことを私が知ったのは、それから何年もたってからである。

ヒットラーの医者となると、彼を薬漬けにしたテオ・モレル先生が有名であるが、真面目なハッセルバッハ先生の証言は信頼できるものとして歴史家に引用されることがある。

私が教会の奉仕活動に熱心なこの老婦人と口をきくようになったのは、娘さんほうが私に相談をもちかけたからである。80年代私は書籍販売業に従事していて、持主がいない本に新たな読者を見つけるのに熱心であった。

遠くの町で暮らし、時々母親を訪れるだけの娘さんによると、ハッセルバッハさんはご主人が残した「悪いナチの本」を手放すことができない。父親が亡くなった以上、彼女は実家にその種の本があることに我慢できないので、母親から取り上げて欲しいと私に頼んだ。

こうして、私はハッセルバッハさんのお宅を訪問する。書棚の本を眺め、ときどき手にとる私に、老婦人は戦争が終わるまでオーバーザルツベルクで幸せな日々を過ごしたことなどを淡々と語った。

ちなみに、アルプスの風光明媚なオーバーザルツベルクはヒットラーの山荘があったところで、そこにはナチ党幹部やその関係者が住んでいた。

「悪いナチの本」は全部で150点近くあり、連合国側の「第二次世界大戦観」に異議を唱える歴史修正主義的文献がその三分の一あまりを占めていた。大多数は同時代人の回想録・日記の類で、普通の歴史学専門書も少なくなかった。

書評の切り抜きが挟んであったり、鉛筆による書き込みがある蔵書には、ヒットラーを診察し、戦後は障害者専門の病院に勤めるようになったハッセルバッハ先生の心の軌跡がうかがわれるような気がした。

ハッセルバッハさんは、「戦争中知らなかったことを戦後知らされ、私達には大きなショックであった。主人には納得できないところがあり、、、、私達が幸せ過ぎたこともあってそのギャップをうめることができなかった」といった。

ハッセルバッハさんに私は日本の戦後について、また「戦後見直し論」について話したと思う。私は、卑近な例を持ち出して何とか理解しようとする傾向がある。その時もそうで、私が次のような話をしたと娘さんに後からいわれた。

「私がある女性と恋愛し幸せな日々を過ごす。その後彼女が極悪殺人犯であることが判明する。殺人犯と、私の抱く彼女のイメージとは結びつかない。でも私は彼女と体験した幸せの日々の記憶を大事にする。また幸せであったのを後から否定するのは、泥棒を怖れて貧乏のふりをする金持ちに似ている」

娘さんも女房も、私がハッセルバッハ先生の蔵書を欲しいからそういったと思っている。それも正しいが、真面目にそう思ってはなしたので私には少し心外であった。

コンピューターを使っていると「新しいファイルを上書きしますか」という表示が出る。「はい」にクリックすると前のファイルが消えて、新しいファイルしか残っていない。「いいえ」を選び、新しいファイルを別名で保存すると、今度はどちらのファイルも残る。ハッセルバッハさんは「いいえ」をクリックしてしまったのではないのか。

私は自分が過去のある時点で思ったり感じたりしていたことを出来る限り憶えていたいと思う。過去の色々な時の「私」が集まって今の「私」になったと思っているので、「はい」ばかりで「上書き」すると自分が自分でなくなる気がするからだ。

話は少し飛ぶが、ある国民が歴史上のある時点で決断し、当時正しいと思っていたとする。このことは記憶のなかに保持されるべきで、絶対「いいえ」を選び「前のファイル」を残すべきである。このファイルまで「上書き」されてしまえば、本当はその決断を肯定することも批判することもできなくなるのではないのか。

ハッセルバッハさんのお宅をお邪魔してから数ヶ月後、私は蔵書を取り行く。しばらくして、私はドイツ戦後史研究者に売り、約束通り売却額の半分を彼女の名前で教会に寄付した。それ以来、教会の神父さまは道で私に挨拶する。