「欧州どまんなか」 November 14, 2001
「1989年11月9日」の思い出

 

12年前の11月9日に「ベルリンの壁」が開いた。これはとてつもなく重要な事件であった。ところが、この事件を、私はドイツで暮らしていながら日本から連絡があるまで知らなかったのである。

11月9日夕方七時頃、東独政府は、西独に旅行できないことで怒る自国民をなだめるために、出国手続きを改善することを決定し、それを記者会見で発表する。その日、私はいつものように、夜8時からの15分間続くテレビニュースでそのこと知り、テレビを切り、「知りたくない権利」を行使した。

この発表を、通信社が省略して流し、東ベルリン市民のあいだで、「パスポートを見せれば今直ぐにも西側に行ける」といううわさが広まる。多数の市民が、(私がテレビを切っ後の)9時頃から西ベルリンに通ずる検問所に大挙押し寄せた。10時頃から検問所の出国手続き処理がはじまる。23時14分苛立ち怒る群集の圧力に抗しきれず、柵が取り除かれ、手続きなしで出国させた。その後の東西ベルリン市民が抱きあう場面は、日本でもテレビでご覧になった通りである。

翌日も私は、事件知らなままでいる。朝テレビをつける習慣がなく、新聞で「東独出国手続き改善」という見出しを見て、外出する。戻ると日本から「ベルリンの壁が開くという事態に直面し本誌も遅ればせながら某記者と某カメラマンをベルリンに派遣することになり、、、」というファックスが、当時週刊誌で働く友人から来ていた。私は驚く。出国手続きが変わったくらいで大騒ぎしている友人のせっかちぶりにである。

試しにテレビをつけて、私はやっと日本人と同じ情報水準に達する。私がこうだったのは、ドイツでテレビ放送は長いあいだ夜だけで、テレビを長時間見る習慣がなかったからである。しばらくすると友人から電話があり、テレビで見た人込みに出かけるのが億劫な気がしたが、私は抵抗できず了承。翌日私はベルリンへ赴く。

ベルリン到着後しばらくして、ブランデンブルク門が開かれるといううわさが流れる。門の前に世界中のテレビ会社の中継やぐらが出現する。数を数えると、百をこしている。半分以上は日本のテレビ会社で、全国津々浦々から来ていて懐かしかった。次は米国の十社あまりで、残りを世界各国が分けるという感じで、私は日本人のエネルギーにただ感心する。

ある日、東ベルリンの反体制派が集まる教会へ私達はやっとこさでたどりつく。中は空っぽで、中年の男性が一人だけ掲示板の前でしきりに筆記していた。ドイツ語が通じず、英語が上手なカメラマンのかたが聞いてくれた。彼は米国の新聞記者で、ドイツ語ができないためにとにかく全部丸写ししているという。私達は彼の「記者魂」に感動する。掲示板には政治的なメッセージもあったが、なかには「我が家の三毛猫が行方不明」といったのもたくさんあったからである。

歩き疲れて、東ベルリンの外貨ホテルのロビーに腰掛ける。しばらくして、近くにすわるジーパン姿の普通の少女たちが客を漁っているのに気がつく。彼女達は、壁が開いて西側の商品を見ているうちに、西ドイツマルクが必要になり、このような挙に及んだ。この事態も当然に思われた。でも、冷戦終了という昂揚した「歴史的瞬間」に、この話しは場違いな感じで、私達は眼をそむける。(何年もたってから、日本の「援助交際」を聞いたとき、私はこの場面を思い出した)。

外国メディアが「東西ドイツは今に一緒になる」と騒ぐのに、ドイツの公的立場にある人は、隣国を刺激したくないこともあって、「統一」というコトバに慎重だった。その頃、私達は経済研究所で東独経済専門家のお話をうかがう。数字をあげて、ドイツ人らしく生真面目に回答していた彼が話しをやめて突然「あなたたちは、東西ドイツがいつ統一するかを知りたいのでしょ」といった。唖然とする私達に、彼はあっさりと「来年です」と断言した。理由は、「東独国民が西側に旅行したり、デモしたりしてばかりで、働かない。東独経済は来年の春には崩壊寸前」で、「統一は早い」と彼は笑った。このシンプルな説明に、私達は感心する。事実その通りになったのである。

「事情通は、東の男のほうがキス上手なのをご承知さ/東の女のほうがきれいなのも、子供に聞けばわかること/壁だって、東のほうが長持ちする/、、、、、、何をとっても、本当は東のほうが西より少しだけまし/、、、でも、私達はどうしてか遠慮深過ぎる、、、、」

これは、旧東独出身の学生ロックバンドが歌い、東側だけでヒットしている戯れ歌の一節である。今年訪れたライプチッヒ大学で、私は学生に教わった。この歌の通り、東の人々がつくった「ベルリンの壁」は本当に長持ちした。でも当時は、誰もが、もっともっと長持ちすると思っていたのである。

また遠慮深いのは他人を理解し考えることにつながる。私はドイツの西側に長年暮らしていて、そうでない人によく出遭うので、東の人々のこの性格も長持ちして欲しいと思う。歌を教えてくれた学生に、私はそうコメントした。