「欧州どまんなか」 July 04, 2001                                         目次に戻る
蝉をたずねて三千里

 

昔、日本文学をやるドイツ人の学生と親しかった。日本文学などに関心のある人が周囲にいないこともあって、彼はよくあそびに来た。ある時、俳句について彼が話すのを聞いていて、私は奇妙なことに気がついた。彼は、蝉のことを草むらのなかにすみ、そこで鳴くバッタの類と思っているのである。

私は、日本の暑い夏と切っても切れないこの虫について説明した。長年、彼が「蝉」というコトバを読むたびに草むらのなかで鳴く「秋の虫」を想像していたのかと思うと滑稽で、私は思わずふき出した。私は「ドイツの蝉はよく知らないが、日本の蝉はコオロギと違って木にとまって鳴く」と笑った。

当時、私は自分の態度に配慮が欠けていたと少し後悔した。というのは、その後彼はあそびに来なくなったからである。

外国文学の研究は厄介なところがある。日本人の方だって、ドイツ人の子供が知っていることも知らずに文学作品を読み奇妙な誤解をすることがある。何度かそれに気がつくうちに、だんだんドイツ人そのものが目障りな存在になってくる。こうなった人に、昔私は何度か出会った。

それから数週間後、彼と私は路上で出くわす。私たちは喫茶店に入った。今度は芭蕉の代わりに、彼は蝉とその仲間の虫のことばかり話した。彼は昆虫学の知識を仕入れたらしく、昆虫の名前にラテン語の学術名をつかった。

蝉の訳語にはドイツ語でも英語でもラテン語から由来する単語をあてる。これは植物にとまってその汁を吸う種々の虫の総称である。日本の蝉に似た虫はその一部に過ぎず、ヨーロッパでは南の方に棲息する。当時、そんなことを私は理解できた。彼は、日本が遠いので、夏休みにギリシアに行って蝉の鳴き声を聞いてくると冗談まじりに語った。

その後、私は彼と二、三度話したことがあるが、関係が疎遠になる。彼が本当にギリシアで蝉の鳴き声を聞いたかどうかを、私は聞きそびれた。当時、私は若いこともあって色々な関心があったが、人間関係にはとても無頓着であった。

それから20年以上も私は蝉のことを考えない。

ある夏、我が家族はベニスから東に向かってアドリア海の海岸沿いの道をクルマで走る。林のなかで道を間違えてUターンをするために、私はハンドルを切った。その瞬間、蝉の鳴き声を聞いた。あるいは聞いたと私は思った。

私たちはすぐ近くの町にアパートを借り、一週間滞在する。私は毎日のように同じ時刻にその林に行ったが、蝉はとうとう出てこなかった。

それ以来、私は蝉のことが気になる。夏になると我が家はバカンスでイタリアに行くが、私は蝉に出会うことを期待するようになった。

ミュンヘンからだとブレンナー峠が近くである。イタリアといっても、私たちはベニス近辺の北イタリアに行くことになる。面倒臭がらずにもっと南に足を伸ばすべきだったのかもしれない。後からそう思った。

ある夏、家族がローマの近くでバカンスを過ごした。私も行くはずであったが、仕事の関係でドイツに残った。子供たちは、帰ってきた途端、住んでいた家の庭で蝉が鳴いていたと語る。日本の夏を知らない彼らにどうして蝉だとわっかったのであろうか。半信半疑の私に、蝉の鳴き声は、ビデオで見た「となりのトトロ」で聞いたと答えた。ただ彼らには、木の上からも草むらからも聞こえたようである。私は判断に苦しんだ。

その後も私はイタリアに行くが、蝉に会えない。機会があると、南欧でバカンスを過ごしたドイツ人に尋ねる。蝉の説明をし、挙句の果て「ミーン、ミーン」と私が鳴いてみせても、彼らは笑うばかりでピンとこないようであった。

去年、6月中旬の精霊降臨祭の学校休みに私たちはパドゥアの近くへでかける。そこで、ブドウ畑に囲まれた百姓家の離れに滞在した。到着した翌日の午後遅く、私はよく冷えたワインを飲みながら庭に座っていた。すると、いともあっさりとあらわれたのである。

蝉は、それから毎日午後遅くポプラの木にとまって鳴く。その音色は日本にいる普通の蝉とほぼ同じであったが、姿を見せない点ではヒグラシに似ていた。

お寺さんの多い京都で育った私には、日本の蝉の鳴き声は、生きる者には逃れられない煩悩と結びつき、記憶のなかでお寺から流れる読経といっしょになって聞こえてくる。

蝉など、ヨーロッパでもしかるべき場所に行けばいるのだと思う。何度もイタリアへ行ったが、走行距離は三千里にならない。このコラムのタイトルはオーバーである。